佐藤多持

没年月日:2004/10/21
分野:, (日)

 日本画家の佐藤多持は10月21日午前6時40分、心不全のため埼玉県所沢市の病院で死去した。享年85。1919(大正8)年4月16日、東京府北多摩郡国分寺町の真言宗観音寺の次男として生まれる。本名保。戦後用いるようになった雅号の「多持」は、仏法加護の四天王のうち多聞天と持国天の頭文字をとったもの。1937(昭和12)年に東京美術学校日本画科に入学して結城素明に学ぶが、41年太平洋戦争のため繰上げ卒業となり、42年麻布三連帯に入隊。しかし演習中の怪我がもとで除隊、43年より昭和第一工業学校夜間部の教師となり、戦後は工業高校となった同校に85年まで勤めた。戦後一時期、山本丘人に師事するかたわら油絵も試み、47年第1回展より第10回展まで旺玄会に出品。また読売アンデパンダン展にも第1回展より日本画を出品。56年無所属となり、翌57年幸田侑三らと知求会を結成、1996(平成8)年同会の解散まで制作発表の場とする。ジャパン・アートフェスティバル展にも出品し、77年第3回国際平和美術展で特別賞を受賞した。戦後まもない頃に尾瀬へのスケッチ旅行で水芭蕉に出会って以来、一貫してこれをモティーフに描き続けたが、その作風は具象的なものから、半球形や垂直線、水平線のパターンによる構成を経て、60年代より大胆な墨線の円弧を用いた抽象的でリズム感のある“水芭蕉曼陀羅”シリーズへと移行していった。80年生家である観音寺庫裏客殿の襖絵38面を5年越しで完成。85年池田20世紀美術館で「水芭蕉曼陀羅・佐藤多持の世界展」、86年青梅市立美術館で「創造の展開―佐藤多持代表作展」、92年たましん歴史・美術館で「佐藤多持の世界 水芭蕉曼陀羅が生れるまで」展、99年には中国・上海中国画院美術館で「日本佐藤多持絵画展」が開催された。著書に『戦時下の絵日誌―ある美術教師の青春』(けやき出版、1985年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(357頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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