藤田喬平

没年月日:2004/09/18
分野:, (工)
読み:ふじたきょうへい

 ガラス工芸家で文化勲章受章者の藤田喬平は、9月18日午後10時13分、肺炎のため東京都千代田区の病院で死去した。享年83。1921(大正10)年4月28日東京府豊多摩群大久保町(現、東京都新宿区)に生まれる。1944(昭和19)年東京美術学校(現、東京芸術大学)工芸科彫金部卒業。46年第1回日展に、金属による立体的な造形作品「波」を出品し初入選。同年染織家の長浜重太郎が主宰する真赤土工芸会に参加し、以後10年間、同会にて作品を発表する。47年岩田工芸硝子に入社。49年同社を退社し、ガラス作家として独立。葛飾のガラス工場を時間単位で借りて、制作を行う。50年代には、同世代の工芸作家グループ展「潤工会新作工芸展」やガラス作家グループ展「PIVOT」に参加、その後多数の個展を開催し、主に百貨店を舞台にガラス作家としての地歩を固めた。64年個展で発表した「虹彩」が、同年「現代日本の工芸」展(国立近代美術館京都分館)に招待出品される。73年個展で飾筥「菖蒲」を発表、以後この「菖蒲」シリーズは晩年まで制作が続けられた。「虹彩」に代表される、流動するガラスが冷えて固まる一瞬を作品に留めた「流動ガラス」シリーズ、琳派の作品に触発され、伝統的な美意識を作品に表出させた「飾筥」シリーズによって、藤田はガラス作家としての個性を明確に打ち出していった。76年日本ガラス工芸協会会長に就任。77年以降は、ガラスの生産地として世界的に有名なヴェネツィア、ムラノ島の工房でも制作をするようになり、ヴェネツィアの伝統的な装飾ガラス技法「カンナ」を多用した作品や大型のオブジェを手がけた。1989(平成元)年日本芸術院会員となる。94年勲三等瑞宝章受章、96年宮城県宮城郡松島町に「藤田喬平美術館」が開館、97年紺綬褒章受章、同年文化功労者の顕彰を受けた。国内外の展覧会へ作品を出品し、日本を代表するガラス作家として活躍するとともに、再三に亘り日本ガラス工芸協会会長を務めるなど、多方面から日本におけるガラス・アートの活動を牽引した。2000年12月1日から31日まで『日本経済新聞』に「私の履歴書」を連載、作品集に『藤田喬平作品集:手吹ガラス』(アート社出版、1980年)、『雅の夢:藤田喬平ガラス』(京都書院、1986年)、『藤田喬平美術館・作品集』(藤田喬平美術館、1996年)、『藤田喬平のガラス』(求龍堂、2000年)。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(355頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「藤田喬平」『日本美術年鑑』平成17年版(355頁)
例)「藤田喬平 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28306.html(閲覧日 2024-04-20)

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