西村公朝

没年月日:2003/12/02
分野:, (彫)

 仏像彫刻家で、東京芸術大学名誉教授の西村公朝は、12月2日午前9時55分、心不全のため大阪市立吹田市民病院で死去した。享年88。1915(大正4)年6月4日、大阪府高槻市富田町に生まれた。彫刻家を志し、1935(昭和10)年に東京美術学校に入学、彫刻科の木彫を専攻する。40年に卒業。帰郷して私立大阪工科学校の美術教師となる。日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介の誘いにより、41年1月美術院に入り京都・妙法院(三十三間堂)千手観音像をはじめとする仏像の修理に取り組んだ。42年7月の応召に伴う中国出征中に仏像修理者としての道を改めて誓い、46年1月に復帰。52年、妙法院執事長である坂田公隆の勧めにより京都・青蓮院で得度。公朝の法名を授かったことを機に、戸籍名も利作から公朝に改めた。以後、仏教の研学にも努め、55年には愛宕念仏寺の住職となった。59年に美術院国宝修理所所長となり、68年に美術院の財団法人化を実現して所長を辞職し理事・技術顧問に就任するまでの間、約1300躯にものぼる仏像の修理に携わった。その間、64年に東京芸術大学大学院保存修復技術研究室の非常勤講師、67年に同大助教授、74年に教授となり、83年に退職するまで後進の育成に尽力した。86年から吹田市立博物館建設準備委員会の委員を経て、1992(平成4)年の開館から2003年まで同博物館館長をつとめた。その傍らで、仏像や仏画の制作にも取り組み、仏教の真髄を慈悲と見なしその教えを体現するために、伝統的な図像には必ずしも則らず、むしろそれを昇華し簡略化した親しみやすい仏像表現を追求した。71年以降毎年秋には、グループ展「ほとけの造形展」を開催している。また、あらゆるものに仏性は宿るという「悉有仏性」の仏性観から、粘土、ガラス、石など身近な素材を利用し、形式にとらわれない自由な発想で数多くの仏像を制作した。87年には比叡山延暦寺戒壇院本尊の釈迦如来像、同八部院堂本尊、妙見菩薩像等、91年(平成3)には目の不自由な人が自由に触れることのできる「ふれ愛観音」、2001年には法隆寺聖徳太子1380年御聖諱の大法要にちなんで勝鬘夫人、維摩居士像等の大作も制作し、晩年に至るまで創作意欲は衰えるところがなかった。2003年には吹田市メイシアターで「西村公朝 仏の世界」展、同年11月には京都・清水寺で「西村公朝 生まれてよかった」展、また、2005年には吹田市立博物館で三回忌を期して「西村公朝 祈りの造形」展が開催された。著書は、仏像研究の成果をまとめた『仏像の再発見』(吉川弘文館、1976年)をはじめ多数。75年、紫綬褒章。83年、仏教伝道文化賞。89年、東方文化賞。87年、勲三等瑞宝章。2000年、岐阜県主催第一回円空大賞。2002年、大阪文化賞を受賞。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(306頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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