芦原義信

没年月日:2003/09/24
分野:, (建)

 建築家で、文化勲章受章者の芦原義信は、大腸がんのため東京都新宿区の病院で死去した。享年85。1918(大正7)年、東京に生まれる。自身の述懐によれば、両親とも軍医の家系ながら、叔父に藤田嗣治、遠縁に小山内薫、兄は後に音楽舞踏評論家となる芦原英了がおり、芸術への関心がはやくからあったという。1942(昭和17)年、東京帝国大学工学部建築学科を卒業、同年、海軍技術士官として入隊。45年、復員後坂倉準三建築事務所、現代建築研究所等に勤務する。52年米国政府留学生として渡米、イエール大学の講習の後、ハーバード大学デザイン学部大学院に入学。53年同大学院を卒業後、ニューヨークのマルセル・ブロイヤー事務所に入所した。54年、帰国後中央公論ビルを設計、同年法政大学工学部講師となる(59年に同大学教授となる)。60年、中央公論ビルの設計に対して昭和34年度日本建築学会賞受賞。65年、駒沢公園(東京都世田谷区)オリンピック体育館及び管制塔の設計に対して、日本建築学会特別賞、第6回建築業協会賞を受賞、同年法政大学を辞任し、武蔵野美術大学教授建築科主任となる。66年、東京銀座のソニービルを設計、戦後の東京のシンボルとなった。68年、モントリオール日本館の設計に対して、昭和42年度芸術選奨文部大臣賞受賞。70年、東京大学教授となる。79年、『街並みの美学』(岩波書店)を刊行、毎日出版文化賞を受賞。84年、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の設計に対して、日本芸術院賞を受賞。88年、日本芸術院会員となる。日本建築家協会、日本建築学会の会長を歴任。1998(平成10)年、文化勲章受章。モダニズム建築として注目されたが、そればかりではなく単体としての建築ではなく、都市と建築、内部と外部のつながり、そうした関心は、「街並みの美学」として結晶した。それに基づく提言は、日本における町づくり、町の景観への配慮という社会的、行政的な課題としても注目された。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(303頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「芦原義信」が含まれます。
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