柳澤孝

没年月日:2003/09/06
分野:, (学)
読み:やなぎさわたか

 美術史研究者で東京文化財研究所名誉研究員の柳澤孝は、9月6日、急性心不全のため死去した。享年77。葬儀は近親者だけで営まれ、偲ぶ会が同年10月末日に東京文化財研究所で行われた。1926(大正15)年1月16日、長野県上田市上田6500番地に生まれる。1943(昭和18)年3月、長野県立上田高等女学校を卒業。45年9月、日本女子大学国文科を卒業するとともに同大学補修科に進学。46年3月、同大学補修科を修了。そののち日本美術史とくに絵画史の研究のために美術研究所(現在の独立行政法人文化財研究所 東京文化財研究所の前身)において文部技官・秋山光和の指導を受け、同年9月、美術研究所雇となる。59年9月1日、文部技官に任官。72年7月1日に東京国立文化財研究所美術部主任研究官に、82年4月1日、同美術部第一研究室長に昇任。84年4月1日、美術部長に就任。87年3月、定年退職する。研究所在職中から非常勤講師として東京大学文学部、同大学東洋文化研究所、慶應義塾大学文学部、学習院大学、東京藝術大学へも出講し、後進の育成にも心血を注ぐ。斯界で現在活躍する美術史研究者・文化財修復技術者のなかで謦咳に触れた者は数多い。柳澤の学究は永年にわたって日本仏教絵画史研究に携わり、網羅的かつ綿密な作品調査を行ったことで知られ、成果をもとに多くの著書・論文があらわされた。その研究手法はX線透過撮影、赤外線撮影、双眼実体顕微鏡などの光学的・科学的手法を積極的に用い、それまで解明が困難であった絵画の顔料の種類、描法を明らかにして、仏画研究の手法を開拓するとともにその指針を示し、研究そのものを飛躍的に引き上げた。今日の仏画研究の水準は柳澤が提示した成果によっているものが少なくない。ちなみに、成果のひとつである『醍醐寺五重塔の壁画』(高田修編、高田修上野アキ宮次男山﨑一雄・伊藤卓冶と共著、吉川弘文館、1959年)により、1960(昭和35)年に日本学士院恩賜賞を受賞した。ここで主要な著作をあげると以下の通りである。編著書には上述の『醍醐寺五重塔の壁画』のほかに、『高雄曼荼羅』(東京国立文化財研究所美術部編、高田修秋山光和・神谷栄子と共著、吉川弘文館、1967年)、『仏画(原色日本の美術7)』(高田修と共著、小学館、1969年<1980年改訂>)、『扇面法華経』(東京国立文化財研究所監修、秋山光和鈴木敬三と共著、鹿島研究所出版会、1972年)、『仏画(ブック・オブ・ブックス 日本の美術9)』(高田修と共著、小学館、1975年)、『法隆寺 金堂壁画(奈良の寺8)』(岩波書店、1975年<1994年復刊>)、『日本の仏画』第一期・全十巻(田中一松亀田孜監修、高崎富士彦・中野玄三・浜田隆と共編、学習研究社、1976年~1977年)、『同』第二期・全十巻(田中一松亀田孜監修、高崎富士彦・中野玄三・浜田隆と共編、学習研究社、1977年~1978年)、『在外日本の至宝』第一巻・仏教絵画(毎日新聞社、1980年)、『当麻寺(大和の古寺2)』(辻本米三郎・渡辺義雄と共著、岩波書店、1982年<1992年復刊>)、『紫式部日記絵巻 蜂須賀家旧蔵本 一巻 重要文化財(複刻日本古典文学館 第2期)』(監修、ほるぷ出版、1985年)、『平等院大観』第3巻・絵画(秋山光和編、岩波書店、1992年)があげられる。また、代表的な論文に「藤田美術館の密教両部大経感得図に就いて」(『美術研究』187号、1957年)、「一字金輪曼荼羅図について―その図像学的並びに遺品の美術史的考察―」(『美術研究』208号、1960年)、「青蓮寺旧蔵の立像十二天図について」(『國華』823号、1960年)、「藤原時代普賢菩薩絵像の一遺例」(『美術研究』220号、1962年)、「大和永久寺真言堂障子絵と藤田本密教両部大経感得図―その製作年代と作家―」(『美術研究』224号、1963年)、「転法輪筒とその絵画」(『美術研究』231号、1963年)、「繭山家本 紺紙金字法華経及び開結経―主として観普賢経について―」(『古美術』7号、1965年1月)、「青蓮院伝来の白描金剛界曼荼羅諸尊図様(上・下)」(『美術研究』241、242号、1965年)、「松尾寺所蔵の終南山曼荼羅について―唐本北斗曼荼羅の一異図―」(『美術研究』248号、1966年)、「仁和寺蔵宝珠筥納入の板絵四天王像について」(『美術研究』256号、1967年)、「仁平三年銘の持光寺蔵普賢延命菩薩絵像」(『美術研究』254号、1969年)、「永久寺真言堂障子絵色紙形下より出現の鷹図について」(『美術研究』266号、1969年)、「慈尊院弥勒仏像台座蓮弁の装飾文様<秋山光和と共著>」(『美術研究』283号、1972年)、「日野原家本大仏頂曼荼羅について」(『美術研究』285号、1973年)、「真言八祖行状図と廃寺永久寺真言堂障子絵(一~五)」(『美術研究』300、302、304、332、337号、1976年~1987年)、「高松塚古墳壁画に関する二、三の新知見―双眼実体顕微鏡による第二次調査報告―<秋山光和と共著>」(『月刊文化財』154号、ぎょうせい、1976年)、「東寺の国宝両界曼荼羅」(『教王護国寺両界曼荼羅』西武美術館、1977年)、「(法華寺)阿弥陀三尊及び童子像」(『大和古寺大観』第五巻 秋篠寺・法華寺・海龍王寺・不退寺 岩波書店、1978年)、「年中行事絵巻と真言院の道場内荘厳」(『新修日本絵巻物全集 月報』22、1979年)、「ボストン美術館蔵の四天王図―新発見の廃寺永久寺真言堂障子絵―」(『在外日本の至宝』第一巻・仏教絵画、毎日新聞社、1980年)、「織成当麻曼陀羅について」(『当麻寺(大和の古寺2)』岩波書店、1982年<1992年復刊>)、「天平絵画の展開」(『週刊朝日百科 世界の美術』106号、1980年)、「正倉院の絵画」(『週刊朝日百科 世界の美術』107号、1980年)、「鎌倉時代の絵画」「仏教絵画」(『週刊朝日百科 世界の美術』113号、1980年)、「称名寺金堂壁画考」(『三浦古文化』28号、1980年)、「異色ある孔雀明王画像」(『美術研究』322号、1982年)、「文化庁保管 普賢菩薩絵像」(『美術研究』326号、1983年)、「廃寺大和永久寺真言堂伝来の真言八祖行状図―平安後期における説話画の一遺例―」(『国際交流美術史研究会第8回シンポジアム 説話美術』1992年)、「東寺の両界曼荼羅図―甲本(建久本)と西院本―」(東寺宝物館特別展図録『東寺の両界曼荼羅図 連綿たる系譜―甲本と西院本』1994年)があり、欧文の論文として“A Study of the Painting Style of the Ryokai Mandala at the Sai‐in, To‐ji ―With Special Emphasis on their Relationship to Late T’ang Painting,” International Symposium on the Conservation and Restoration of Cultural Property‐Interregional Influences in East Asian Art History ―, Tokyo National Research Institute of Cultural Properties, 1982. “The Paintings of the Four Deva Kings in the Collection of the Museum of Fine Arts, Boston‐Recently Rediscovered Paintings from the Shingon‐do of the Abandoned Temple Eikyu‐ji‐,” Archives of Asian Art XXXUII, the Asia Society Inc., 1984.がある。柳澤の絵画作品に向かう真摯な態度は、後年、右半身不随となるも、リハビリによりこれを克服し杖に頼る身体となっても作品を実見することの情熱を失わなかったことに示されているであろう。晩年に心臓疾患による手術を受けたが、乗り越えて精力的に日本内外の美術館・博物館に出向き、終日、展示作品の前で単眼鏡を覗きながら熟覧に及んだ。また、後学の徒から送られてきた論文抜刷には必ず目を通し、疑問点については執拗なまでに追求する厳しい姿勢を最期まで崩さなかった。その柳澤が心血を注いだ大著「真言八祖行状図と廃寺永久寺真言堂障子絵」が完結をみなかったことは惜しまれるが、周囲には執筆の再開に意欲を示していたのも事実であった。また、晩年の関心は、園城寺からの要請で修理委員を務め、余人を介さずつぶさに実見した園城寺金色不動明王像(いわゆる黄不動)の研究にあった。柳澤は『美術研究』に掲載すべく執筆を行っていることを周囲に漏らしていたが、没後にかなりの完成度をもった原稿が残されていることが確認された。その遺稿「園城寺国宝金色不動明王像(黄不動)に関する新知見―不動明王修理報告―」は故人の遺志を尊重して『美術研究』385号(2005年)に上梓をみた。金色不動明王像の論文とは別に東寺西院曼荼羅の簡単な解説も残されていた。金色不動明王の論考を終えてのち東寺西院両界曼荼羅の研究に再度着手する予定であったようである。ちなみに柳澤の代表論文のうち、年月の経過とともに入手困難が予想される雑誌掲載の論文を集成し『柳澤孝仏教絵画史論集』として2006年春には刊行が予定されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(301-302頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「柳澤孝」『日本美術年鑑』平成16年版(301-302頁)
例)「柳澤孝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28276.html(閲覧日 2024-04-20)

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