山中雪人

没年月日:2003/06/05
分野:, (日)
読み:やまなかゆきと

 日本画家で日本美術院同人の山中雪人は6月5日午前0時30分、肺がんのため横浜市の病院で死去した。享年83。1920(大正9)年2月12日広島市台屋町(現、京橋町)の浄土真宗寺院の家に生まれる。1937(昭和12)年広島崇徳中学校卒業後、川端画学校に学び、38年東京美術学校日本画科に入学、結城素明川崎小虎らに指導を受ける。41年には結城素明の主宰する大日美術院第4回展覧会に「花屋」が、翌年の第5回展に「T先生」が入選。42年美術学校を繰り上げ卒業、同年より46年にかけて軍籍にあり、44年中国の漢口(現、湖北省武漢市)の部隊に配属。46年6月に復員し、47年より広島実践女学校の教師として奉職するが、48年上京し横浜市立蒔田中学校に勤務。49年には終戦直後に広島市で開かれたデッサンの勉強会で知り合った日本画家水谷愛子と結婚。この年大智勝観の紹介により中島清之に師事、51年には月岡栄貴の紹介で前田青邨に師事する。56年第41回院展に「海光」が初入選。70年にインドネシアのボロブドゥールで大きな感銘を受けて以後、アジア各地の仏跡を遍歴し、画想の源とする。80年愛知県立芸大非常勤講師となり、法隆寺壁画模写を指導。83年第68回院展に「佛」(奨励賞)、84年第69回院展に「雲岡石佛」(日本美術院賞・大観賞)、85年第70回院展に「佛陀伝想」(同)、86年第71回「雲岡佛」(同)、87年第72回院展に「釋迦三尊」を出品、この間の85年に第4回前田青邨賞を受けている。84年から三年連続院賞受賞という業績によって86年11月4日、日本美術院同人に推挙される。1992(平成4)年第77回院展に「釈迦と弟子」を出品、文部大臣賞を受賞。翌年には新しく開校した広島市立大学芸術学部日本画科主任教授として就任(2000年まで)。97年第82回院展出品の「架檐(十字架を担うキリスト)」で内閣総理大臣賞を受賞。98年第55回中国文化賞(中国新聞社)を、99年第48回横浜文化賞を受賞。鉄線描風のシャープな線描と淡麗なマティエールによって、釈迦やキリストをテーマに尊厳と気品に満ちた宗教画を描き続けた。没後の2005(平成17)年には呉市立美術館にて「山中雪人水谷愛子二人展」が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(300頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「山中雪人」『日本美術年鑑』平成16年版(300頁)
例)「山中雪人 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28274.html(閲覧日 2024-03-29)

以下のデータベースにも「山中雪人」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top