城ノ口みゑ

没年月日:2003/01/16
分野:, (工)
読み:じょうのぐちみえ

 重要無形文化財「伊勢型紙糸入れ」の保持者、城ノ口みゑは、1月16日、三重県鈴鹿市白子町の自宅で心不全のため死去した。享年86。1917(大正6)年1月2日、三重県鈴鹿市白子町に生まれる。同町は、小紋などの型染めに用いる、いわゆる伊勢型紙の主要産地として知られる。伊勢型紙は、楮紙を柿渋で貼り合せたもので、これに専用の彫刻刀で文様を透かし彫りする。透かし部分の多い型紙は、補強のため、いったん文様を彫り上げたあとから二枚に剥がして、あいだに細い絹糸を挟み入れる「糸入れ」の工程を施す。伊勢地方の女性達を主要な担い手として伝承された、家内手工の補強法であったが、ひじょうに難しく、習得にも時間がかかる技術であったため、やがて、紗を裏張りする簡便な補強法のほうが普及してゆくことになった。城ノ口みゑは、「糸入れ」の需要がまだ高かった昭和戦前期に、祖母や母・すえを通じて、この伝統の型紙補強技術を習得し、家政女学校を卒業した頃から、家族とともにこれに従事した。以来、さまざまな技術革新や型紙業界自体の変革にともなって後継者が減少する中でも、変わらず高い水準の技術を保持し続けた。1955(昭和30)年2月、初の重要無形文化財保持者30名が認定された際には、他の型紙技術者5名とともに、重要無形文化財「伊勢型紙糸入れ」保持者として認定を受けた。63年に鈴鹿市が「伊勢型紙伝承者養成事業」を開始すると、講師に就任し、以後これに長くたずさわって後継者の育成に尽力した。城ノ口の死去によって、55年認定時の伊勢型紙関係の重要無形文化財保持者はすべて世を去ったことになるが、糸入れを含む伊勢型紙の制作技術そのものは、現在、伊勢型紙技術保存会によって伝承されている。同保存会は、1993(平成5)年に重要無形文化財「伊勢型紙」の保持団体として認定を受けている。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(295-296頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「城ノ口みゑ」『日本美術年鑑』平成16年版(295-296頁)
例)「城ノ口みゑ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28265.html(閲覧日 2024-04-19)
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