帖佐美行

没年月日:2002/09/10
分野:, (工)
読み:ちょうさよしゆき

 彫金家で、文化勲章受章者、文化功労者、日本芸術院会員、日展顧問の帖佐美行が、9月10日、呼吸不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。享年87。 1915(大正4)年3月25日、鹿児島県薩摩郡宮之城町生まれ。本名、良行。13歳の時に上京、1930(昭和5)年から38年まで彫金家小林照雲に師事、40年からは彫金家海野清に師事する。41年美術協会展で入賞(銀賞1、銅賞2)。42年第5回新文展に「銅芥子文花瓶」で初入選。54年第10回日展では「龍文象嵌花瓶」で、また翌55年第11回日展では「回想銀製彫金花瓶」で2年連続特選受賞。56年からは光風会会員となる(常務理事を経て86年退会)。57年からは日展審査員、58年からは日展評議員をつとめる。61年現代工芸美術家協会創設に参加する。62年第5回新日展では「牧場のある郊外」(愛知県貿易センター蔵)で文部大臣賞を受賞する。66年には、65年の第8回新日展に出品した「夜光双想(或るホールの為に)」(日本放送協会蔵)で日本芸術院賞を受賞。69年日展理事となる。74年日本芸術院会員となる。同年日本金工作家協会会長となる。78年には現代工芸美術家協会を退会し、日本新工芸家連盟を結成する。80年東大寺大仏殿の昭和大修理の落慶法要を記念し、奉賛荘厳具として「白鳳凰」(大花瓶一対)と「青龍」(大香炉)を制作し献納した。82年には日本新工芸家連盟の会長に就任。同年宮之城町名誉町民章受章。84年皇居新宮殿のために「和讃想」(彫金壺)を制作。85年「帖佐美行展:日本工芸界の巨匠」(読売新聞社主催、東京、山口、福岡、大阪、鹿児島、名古屋を巡回)。87年勲三等旭日中綬章受章、同年文化功労者となる。88年鹿児島県民特別賞。1990(平成2)年「帖佐美行展:彫金の芸術」(東京、名古屋、大阪を巡回)、91年「帖佐美行展:彫金:豪放と優美と」(世田谷美術館)。93年文化勲章受章。95年日展顧問となる。 42年の新文展初入選以来、新文展、日展を舞台に活動を展開した。1950年代後半からは建築装飾としての作品にも積極的に取り組み、壁面装飾用の大型パネルの制作を行った。従来、彫金で大型パネルの制作を行うことは稀だったが、帖佐は鉄パイプをつぶして接合した大型パネルを制作し注目された。1980年頃からは、香炉や花瓶などの器物に重点をおくようになる。ユニークな形の器の表面に鏨(たがね)を打ち込んで繊細な文様をあらわし、金色や緑青色や紅茶色や紫色などの着色をほどこした、詩情あふれる独自の作品世界を作り上げた。帖佐は彫金の技法を駆使し、生命や宇宙の神秘、自然の偉大さや崇高さなどといった壮大なテーマを、鳥や木などをモチーフに表現し、幻想的で詩情あふれる作品世界を展開させた。 著書・作品集には、『金工の詩:帖佐美行の芸術』(形象社 1976年)、『新工芸論:美にいきる』(形象社 1979年)、『美行素描』(形象社 1981年)、『彫金の華:帖佐美行作品集』(日本経済新聞社 1984年)、『千年の美:帖佐美行の世界』(清水光夫著、新評社 1995年)ほか。

出 典:『日本美術年鑑』平成15年版(245-246頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「帖佐美行」『日本美術年鑑』平成15年版(245-246頁)
例)「帖佐美行 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28259.html(閲覧日 2024-04-25)

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