大野俶嵩

没年月日:2002/09/05
分野:, (日)

 日本画家で京都市立芸術大学名誉教授の大野俶嵩は9月5日、多臓器不全のため死去した。享年80。 1922(大正11)年1月20日、京都市に生まれる。本名秀隆。1941(昭和16)年京都市立美術工芸学校日本画科を、43年京都市立絵画専門学校日本画科を卒業。美工在学中より須田国太郎の指導を受け、美工卒業制作の「椎の森」や絵専卒業制作の「黒土」にその影響が色濃く認められる。戦後、47年の第3回京展に「城南の春」を初出品し、京都市長賞・新聞社賞を受賞。また47年第3回日展に「海」が初入選するが、48年星野眞吾の推薦により革新的な日本画運動であるパンリアルに参加。翌49年に「パンリアル宣言」を発表しパンリアル美術協会を公に結成、第1回展を開催し、58年に退会するまでの間、「霊性の立像」(53年第10回展)、「消えた虹」(54年第11回展)等を出品、日本画がもつ膠彩表現の可能性を追求した。協会退会後も国内外にわたって個展を行なうとともに、58年、61年のピッツバーグ国際現代絵画彫刻展、59年の中南米巡回日本現代絵画展といった国際展に出品する。58年からは麻袋を画面に貼り付けた「ドンゴロス」の連作を開始、異質のメディアを日本画に持ち込んで既存の概念を問い返す制作を行い、60年には「創生」がグッゲンハイム美術館買い上げとなるなど、アメリカをはじめ海外での評価を得る。61年に俶嵩と改号。71年頃からは主に花をモティーフに極めて精緻な南宋院体画風へと大きく転回、「鶏頭(おとずれ)」(72年)、「華厳」(89年)など静謐のうちにも生気、さらには仏性をたたえた世界を展開する。70年京都市立芸術大学助教授、73年教授に就任。83年京都市文化功労者として表彰。87年京都市立芸術大学を退官、同大学名誉教授となる。1989(平成元)年には京都府文化賞功労賞を受賞、同年O美術館で「大野俶嵩展―「物質」から華へ」が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成15年版(245頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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