千野茂

没年月日:2002/04/12
分野:, (彫)

 彫刻家で東京藝術大学名誉教授の千野茂は、4月12日心筋梗塞のため東京都練馬区の病院で死去した。享年89。 1913(大正2)年1月15日、新潟県中蒲原郡新飯田村(現白根市)に生まれる。高等科卒業後仏壇の装飾彫刻の修業を経て、1933(昭和8)年より新潟市へ移り石川光明の弟子であった島田美晴に木彫を習う。36年新槐樹社展、新協美術展に入選するが、翌年の院展に落選。この頃、新海竹太郎の「ゆあみ」に魅了されて塑像への憧れを募らせ、39年上京。棟方志功、辻晋堂との知遇を経て40年新海竹蔵に師事し、日本美術院の研究室に通いモデル制作をするが、院展には落選が続く。42年第29回院展に妹をモデルにした「ミチの首」で初入選。その後は順調に入選を重ねて、49年「裸婦」で日本美術院賞、翌年大観賞、51年奨励賞、52年白寿賞、54年大観賞と受賞を続け、55年同人となる。また、55年より東京藝術大学で教鞭をとる(80年まで)。61年院展彫刻部の解散にともない師の新海竹蔵山本豊市、関谷充、桜井祐一とS・A・S(彫刻家集団)を結成。63年ヨーロッパを巡遊。64年S・A・Sは国画会と合流し同会彫刻部として発足することとなり、これに会員として参加する。現代日本美術展、日本国際美術展などにも出品。マイヨールや藤原期の彫刻に傾倒し、裸婦を端正に表現した平明清楚な作風を示した。80年には上越市に小林古径記念塔を制作。82年第56回国画会展出品「皐月」で第13回中原悌二郎賞を受賞。86年東京藝術大学名誉教授となる。1989(平成元)年新潟市美術館で「千野茂彫刻展」が開催。90年には国画会彫刻部より『千野茂作品集』が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成15年版(242頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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