金森映井智

没年月日:2001/11/25
分野:, (工)

 金工作家で、彫金の重要無形文化財保持者の金森映井智は、11月25日午前11時20分、心不全のため富山県高岡市の病院で死去した。享年93。1908(明治41)年2月3日、高岡市母衣町(現京町)に七人兄弟の長男として生まれた。本名榮一。生家は仏事用の菓子の製造販売業を営んでいた。1920(大正9)年、小学校を卒業すると高岡の地場産業である銅器工芸で身を立てることを決意するが、高岡金工に新風を吹き込んだ富山県立工芸学校(現富山県立高岡工芸高等学校)教師の内島市平のすすめで同校に入学する。ここで、彫金、鋳金、鍛金、板金など、金工の幅広い知識を習得する。また、日本画を中島秋圃に学ぶ。卒業後は内島の内弟子として二年間彫金技法を学び、職人ではなく作家としての道を歩む。1930(昭和5)年、商工省第17回工芸展覧会に初入選し、褒状受賞。また同年、工芸の革新を目指して高村豊周らが結成した无型展に入選。翌年、23歳で金工作家として独立する。33年、第14回帝展に「胴張型青銅花瓶」が初入選し、以来、帝展、文展、日展に入選を繰り返す。41年には母校に非常勤講師として迎えられ、公募展の入選を目指しながら多くの後進を育成。また、富山県や高岡市の美術工芸指導者として、県展や市展をはじめ、その他の美術展や美術団体でも活動を展開。戦後すぐの作品には、写生をもとにしてつくり出された具象的な草花文がよく用いられており、この時期の特徴となっている。57年からは日展を離れ、第4回日本伝統工芸展に「青銅瑞鳥香炉」を出品し初入選。以後は同展を舞台に、金、銀の線象嵌、布目象嵌による作品を発表。62年には日本工芸会正会員となる。69年、高岡市市民功労者表彰。翌年には県政功労者表彰を受ける。73年に号を映井智と改め、76年の第23回日本伝統工芸展では「鋳銅象嵌六方花器」が日本工芸会総裁賞を受賞。翌年、日本工芸会金工部会評議員。80年には鑑査委員と審査委員を務める。同年、勲四等瑞宝章受章。その翌年には日本工芸会理事に就任した。1989(平成元)年、「彫金」で富山県初の重要無形文化財保持者に認定される。90年には高岡市名誉市民の称号を受ける。91年、富山県民会館美術館で「金森映井智回顧展」が開催され、2003年には高岡市美術館において「金森映井智の偉業を偲んで」と題した没後初の回顧展が開催された。作品は鋳銅製で、その多くは花器であるが、花器には具象的な意匠は不似合いと考え、直線や曲線による幾何学的模様を意匠に用いた。高岡の伝統である浮象嵌を基本に、さまざまな象嵌技法を組み合わせて、現代感覚にあふれた重厚な作風で独自の世界を築き上げた。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(249-250頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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