金子鴎亭

没年月日:2001/11/05
分野:, (書)

 書家で文化勲章受章者の金子鴎亭は11月5日午前11時18分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去した。享年95。1906(明治39)年5月9日、北海道松前郡雨垂石村(現松前町静浦)に生まれる。本名賢蔵。1921(大正10)年札幌鉄道教習所に入学、そこで大塚鶴洞の指導により書を古典から直接学習することを覚え、とくに北魏の高貞碑を学ぶ。24年鉄道に勤務しながら川谷尚亭の主宰する『書之研究』を購読、尚亭に入門し通信教育を受ける。その後鉄道を退職し函館師範学校二部に入学、1929(昭和4)年同校を卒業し、小学訓導になる。32年上京、本所高等学校で教鞭をとるかたわら戦前書道における革新運動のリーダーであった比田井天来に師事、天来の書学院で中国の正統な漢字書を学ぶ。33年『書之研究』誌上に漢字とかなを交えた革新的な「新調和体論」等、論説を毎月発表、35年には『書之理論及指導法』(北海出版社)を刊行し、時代を反映した芸術としての現代書の創造を提唱する。37年天来企画の第1回大日本書道院展で特別賞受賞。47年かな書家の飯島春敬とともに毎日新聞社に日本書道の大合同展開催を建議、交渉を重ねた末、翌年東京都美術館にて毎日書道展が創設される。52年、および63年以降、全国戦没者追悼式の標柱に「全国戦没者追悼之標」(75年より「全国戦没者之霊」)を揮毫、1993(平成5)年まで続けることになる。66年第9回日展出品作「丘壑寄懐抱」により文部大臣賞、67年日本芸術院賞を受賞。64年に創玄書道会を結成して以来、石川啄木や宮沢賢治などの近代文学を素材とした「近代詩文書」を提唱し、古い詩文から離れ現代人の心に語りかけ、親しめる清新な書により現代書道に新領域を開いた。73年には近代詩文書作家協会を設立。84年北海道立函館美術館に自作107点、および収集した東洋の書画・陶磁器や美術館系図書を寄贈、86年に開館なった同美術館内に鴎亭記念室が開室される。87年、井上靖の西域詩篇を題材にした「交脚弥勒」で毎日芸術賞受賞。同年文化功労者となり、90年文化勲章受章。87年には北海道立函館美術館で「現代書の父―金子鴎亭六十年のあゆみ」、93年には板橋区立美術館で「金子鴎亭―四季を謳う」展が開催される。著書に『入門毎日書道講座・近代詩文書1・2』(毎日新聞社 1976・77年)、『書とその周辺 金子鴎亭対談集』(日貿出版社 1984年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(248頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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