松本英一郎

没年月日:2001/06/17
分野:, (洋)
読み:まつもとえいいちろう

 洋画家で、多摩美術大学教授の松本英一郎は、6月17日午前9時51分、心筋症のため山梨県富士吉田市の病院で死去した。享年68。1932(昭和7)年7月8日、福岡県久留米市に生まれる。57年、東京芸術大学美術学部油画科を卒業、ひきつづき専攻科にすすみ林武に師事し、59年に同科を卒業した。57年の第25回独立展に初入選し、60年の第28回展では独立賞を受賞し、同年、同協会会員となった。同展には、2001年の第69回展まで、毎回出品をつづけた。69年、多摩美術大学グラッフィックデザイン科の講師となり、72年には同大学助教授となった。83年には、同大学教授となり、1993(平成5)年には油画科に所属が変更した。在職中は、寡黙ながら包容力のある指導で、学生からの人望もあつかったことで知られた。60年代末には、日常のなかの不安や不条理を、人間のシルエットの形の反復によって表現した「平均的肥満体」のシリーズを制作し、70年代から80年代にかけては、「不思議なことだが、私には襞のある形状の方がより自然に思えるのである。生あるものはやがて老い、そして収縮していく。収縮しながら襞を作る。」という言葉どおり、「退屈な風景」のシリーズによって、漠としてひろがる風景のなかに自然の摂理や人間の内面を投影した表現をつづけた。つづく90年代には、「さくら・うし」のシリーズによって、桜の花のはなやかさに幻惑された体験をもとに、さらに幻想的な独自の世界を展開していった。この間、各地の美術館の企画展、コンクール展に出品したが、90年には青梅市立美術館で「松本英一郎展」が、93年には池田20世紀美術館で「松本英一郎の世界」展が開催された。没後の2003年6月に多摩美術大学美術館において「松本英一郎展 Works1968-2001」が開催され、その芸術があらためて回顧された。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(241頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松本英一郎」『日本美術年鑑』平成14年版(241頁)
例)「松本英一郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28223.html(閲覧日 2024-04-19)

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