塩出英雄

没年月日:2001/03/20
分野:, (日)

 日本画家で日本美術院常務理事の塩出英雄は3月20日午後2時29分、脳しゅようのため東京都杉並区の病院で死去した。享年88。1912(明治45)年4月6日、広島県福山市の菓子舗に生まれる。中学時代には福山の古刹明王院で龍池密雄僧正より真言宗の教義について教えを受け、深く感化される。17歳の時美術に志を立て、1931(昭和6)年上京し姻戚関係にあった尾道出身の片山牧羊に日本画の手ほどきを受ける。同年帝国美術学校日本画科に入学、主に山口蓬春の指導を受けるかたわら、学科では同校の教頭金原省吾から東洋美学や東洋美術史、国文や漢文まで広く学び、その後金原が没する58年まで薫陶を受けることになる。また学外でも高楠順次郎に仏教学を学び、高楠が没する45年まで師事する。36年に美術学校を卒業するが、この間35年より奥村土牛に師事。37年第24回院展に「静坐」が初入選し、以後入選を重ね39年院友となった。戦後49年第34回院展で「賀寿」が奨励賞、翌50年第35回「泉庭」が日本美術院賞・大観賞を受賞。その後も51年第36回「茗讌」、60年第45回「清韻」が奨励賞となり、61年第46回「渡殿」が日本美術院賞・大観賞を受賞、同人に推挙される。この間59年には同じく院展の小谷津任牛らと藜会を結成。69年第54回院展に出品した「春山」が内閣総理大臣賞を受賞。日本画顔料の純粋な発色を生かした平明清澄な風景画の世界を繰り広げた。70年日本美術院評議員、73年理事となる。制作に傾注する一方で、36年帝国美術学校卒業と同時に同校助手となり、41年講師、51年武蔵野美術学校助教授を経て、43年武蔵野美術大学教授、84年同校名誉教授となり、69年より80年まで愛知県立芸術大学講師を務めるなど、長年にわたり後進の指導育成にも尽力。また宗教や哲学に造詣が深く、短歌や能、茶道もたしなみ、59年に歌集『山草集』(古今書院)、1989(平成元)年喜寿記念歌集『清明集』を出版、86年には宮中歌会始の儀に参列した。91年には日本橋三越他で、99年には練馬区立美術館・ふくやま美術館で回顧展が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(236頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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