石川響

没年月日:2000/12/05
分野:, (日)
読み:いしかわきょう

 日本画家で日展評議員を務めた石川響は12月5日午後3時31分、くも膜下出血のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。享年79。1921(大正10)年12月3日、千葉県長生郡長柄町に生まれる。本名宣俶(のりよし)。狩野芳崖筆「悲母観音図」(東京芸術大学美術館蔵)に感動して画家を志したという。1942(昭和17)年、東京美術学校図画師範科を卒業し、岩手県立黒沢尻中学校にて教鞭を執りながら日本画を描き、47年「悠遠」にて第3回日展に入選。50年には千葉県立長生高等学校を退職して画業に専念し、54年からは結城素明の紹介で加藤栄三に師事。66年「昼の月」にて第9回新日展特選・白寿賞を受賞し、67年の中央公論新人展、71年の第1回山種美術館賞展に推薦出品した。73年「原野」にて再び第5回改組日展特選を受賞。76年からはたびたび日展審査員を務め、77年から日展会員、1990(平成2)年から日展評議員を務めた。98年の第30回改組日展では「夕山河」で内閣総理大臣賞を受賞、2000年には千葉県芸術文化功労賞および勲四等瑞宝章が授与された。この間、安房小湊誕生寺に88年、94年、96年の三度にわたって仏伝壁画・天井画を奉納する一方、数度にわたって、インド・東南アジア・韓国・中国等へ仏教遺跡・宗教文化の源流を訪ねる旅行をし、90年に日本橋高島屋にて個展「生生の旅」を開催、95年には「素晴らしき地球の旅-人間仏陀の生涯-」(NHK衛生第2放送)にインド各地をスケッチする旅人として出演、また『ニルバーナ・ロードの風景-釈尊最後の旅-』(中村元編著、東京書籍 88年)や『インド四季暦春・夏そして雨季-』・『インド四季暦-秋・冬そして寒季-』(ともに阿部慈園共著、東京書籍 92・93年)、『インド花巡礼-ブッダの道をたどって-』(中村元・三友量順共著、春秋社 96年)、『心のともしびを求めて-仏教文化へのいざない-』(阿部慈園共著、春秋社 98年)といった画文集を出版した。90年には東方研究会・インド大使館より東方学術賞を授与されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(243-244頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「石川響」『日本美術年鑑』平成13年版(243-244頁)
例)「石川響 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28204.html(閲覧日 2024-03-29)

外部サイトを探す
to page top