大久保婦久子

没年月日:2000/11/04
分野:, (工)
読み:おおくぼふくこ

 皮革工芸家で日本芸術院会員の大久保婦久子は11月4日午後5時25分、心不全のため、東京都新宿区の病院で死去した。享年81。1919(大正8)年1月19日静岡県加茂郡下田町(現 下田市)に生まれる。本名ふく。1931(昭和6)年下田尋常高等小学校を卒業し静岡県立下田高等女学校に入学。35年に同校を卒業して女子美術専門学校(現 女子美術大学)師範科西洋画部に入学する。39年、同校を卒業。在学中に皮革染織を学んだことがきっかけとなり、皮革工芸を制作し始める。50年に東京銀座資生堂で個展を開催。翌年から山崎覚太郎に師事する。52年第8回社団法人日展第四科工芸部に「逍遥」(3枚折りスクリーン)で初入選し、以後同展に入選を続ける。53年第9回日展に「四季」(4枚折りスクリーン)を出品。また、同年第39回光風展に「向日葵」を出品し、以後同展に出品を続ける。55年第1回新日展に「春昼」(キャビネット)を出品して北斗賞受賞。58年6月から7ケ月間、皮革工芸研究のためイタリアに滞在。50年代の作品は家具などの装飾に皮革を素材とした造型作品を用いたものが多かったが、60年代に入ると皮革を素材とする造型作品自体を独立させるようになる。61年第4回日展に「うたげ」を出品して特選および北斗賞受賞。翌年日展無鑑査となる。また62年第1回現代工芸美術協会展に「黒い太陽」を出品して初入選。64年第7回日展に「まりも」を出品して菊華賞受賞。65年日展工芸部審査員および現代工芸美術協会会員、66年日展会員となる。69年総合美術展「潮」を結成。以後、同展にも出品を続ける。60年代後半に、皮革表面を打つことによる凹凸の表現のみならず、編みこみ、張り込みなど多様な技法を用いるようになり、70年代のはじめにはイタリアの作家ルーチョ・ファンタナのキャンバスを鋭利に切り裂く作品に学んだ皮革造型を試みる。また、70年代後半からは縄文など古代のモティーフに興味を抱き、縄目やうねりを作品に取り入れるようになる。79年中国へ旅行。80年現代女流美術展に招待出品し以後同展に出品を続ける。また、同年光風会を退会。81年第20回現代工芸展に「折」を出品して内閣総理大臣賞受賞。82年第14回日展に「神話」を出品し、翌年この作品により第39回恩賜賞日本芸術院賞を受賞し、85年日本芸術院会員となる。87年皮革造型グループ「ド・オーロ」を結成し、その同人となり、以後毎年同展に出品を続ける。1989(平成1)年郷里の静岡県立美術館で「大久保婦久子展」を開催。95年文化功労者に選ばれる。2000年「大久保婦久子展」を大丸ミュージアム・東京、大丸ミュージアム・KYOTOで開催。同年文化勲章を受章し、11月3日に皇居で行われた文化勲章親授式に出席した直後の死去であった。洋画家の故・大久保作次郎夫人で、作次郎の母校東京美術学校に学んだ工芸家とも広く交遊し、伝統技術の伝承にとどまらない新しい工芸を模索する動きの中にあって、江戸時代まで仏具や武器・武具の制作に持ちられていた皮革工芸技術を、自立的な造型作品の制作に生かして、新境地を開いた。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(241頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大久保婦久子」『日本美術年鑑』平成13年版(241頁)
例)「大久保婦久子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28198.html(閲覧日 2024-03-29)

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