小林昭夫

没年月日:2000/07/24
分野:, (美)

 画家、現代美術家で、現代美術の教育機関のひとつであるBゼミスクーリングシステム所長であった小林昭夫は、7月24日、胸部大動脈りゅう破裂のため横浜市南区の病院で死去した。享年71。特色ある教育機関を自営し、多くの現代美術家を輩出した小林は、1929(昭和4)年2月18日、横浜本牧に生まれた。横浜市立南太田小学校を経て、45年神奈川県立第一中学校(現 同県立希望ヶ丘高校)を卒業。同年海軍経理学校に入学するが、国立東京商科大学予科(現 一橋大学)に転入学する。同学在学中の46年ハマ展に初入選。翌47年第15回独立展に「風景」で初入選し、同年より児島善三郎に師事。50年第18回独立展に「風景(河)A」を出品する。51年東京商科大学を、卒業論文「セザンヌ論」を提出して卒業し、野沢屋(現 横浜高島屋)に入社。同年第19回独立展で新人賞を受賞するが、次第に団体展への疑問を抱く。53年野沢屋内に美術売り場が設置され、その仕入れを担当し、また、同社包装紙・ポスター等を手がける。54年から雑誌や書籍のイラストを描き、翌年には雑誌「文学界」「文芸」等のイラストを描いたほか、雑誌「あるびよん」に「ウイリアム・ブレイク論」を発表する。一方でアメリカ留学を志し、56年、アメリカのペンシルベニア美術学校などから奨学金支給の許可を受け、アメリカ文化センターで個展を開催。同年12月サンフランシスコ・スクール・オブ・ファインアーツに奨学生として入学する。米国滞在中、デ・クーニング、アシル・ゴーキーなどアメリカ抽象表現主義に触れ、岡田謙三を知る。58年Printmakers National Exhibit in Oaklandに出品して受賞し、同年サンフランシスコのFiengarten Gallery in San Franciscoで個展を開催して好評を博す。59年Fiengarten GalleryのCarmerl支店で個展を開催。同年デヤング美術館の無給助手となり、シンシナティでの国際版画ビエンナーレに招待出品。60年サンタバーバラ美術館で個展を開催し、ヨーロッパ旅行を経て同年帰国する。帰国に際し、全作品をFiengarten Galleryに売却。帰国後の61年「青年抽象作家展」(村松画廊)に出品。62年小林昭夫洋画研究会を横浜市中区相生町進交会館に設立。デッサン、油彩画の指導の一方で多くのゲスト講師を招き新しい美術のための多角的アプローチを模索する。67年、同年4月に開校予定であったデザイン専門学校「富士芸術学院」での現代美術講座が頓挫し、これを契機として同年10月「現代美術ベイシックゼミナール(Bゼミ)」を横浜に開設する。これに先立ち9月に同ゼミの開設を記念してシンポジウム「現代美術とは何だ」(参加者:小林昭夫斎藤義重、城山三郎、日夏露彦、黛敏郎)を開催する。同時に斎藤義重とのディスカッションとスタジオ制作を中心とするAゼミも発足。当時のAゼミ受講者に小林はくどう、小清水漸、菅木志雄、吉田克郎らがいる。68年2月「九紫友びきひのえさる、今日は歴史の終りで始め、隙間で行うFace to Face」というイベントを開催。同年8月、後のBゼミ展につながる「にっぽんかまいたち展」を小林はくどう、小清水漸らと企画し、旧横浜市民ギャラリーで開催する。60年代後半から70年代のBゼミ専任講師には小清水漸、斎藤義重、関根伸夫、宇佐美圭司、高松二郎、李禹煥、柏原えつとむ、中原佑介、彦坂尚嘉、多木浩二らがいる。80年代に入ると、諏訪直樹、岡崎乾二郎、川俣正、鷲見和紀郎、戸谷茂雄、安斎重男らが選任講師をつとめた。そのうちの幾人かはBゼミ出身者であり、そのことにも現れるように、80年代のBゼミは、現代美術家として社会的認知を得る作家を輩出する独自の教育機関として注目を集めた。90年代には、赤塚祐二、海老塚耕一、小山穂太郎、Azby Brown、笠原恵実子、宇波彰、西雅秋、丸山直文、蔡国強、鈴木理策、青木野枝らが専任講師をつとめている。この間、小林はBゼミ所長としてその講義内容、Bゼミ展の企画などの指揮をとった。講師陣の人選にも見られるように、小林は常に変化していく社会の中で鋭敏な感性を働かせ、その時々の造形の問題と取り組み続けた。写真、ビデオ、コンピュータなど、狭義の「美術」には容れられなかったメディアにも逸早く注目し、Bゼミの講義内容に盛り込んでいる。この間、同ゼミの名称は86年にBゼミSchooling Systemとなり、1991(平成3)年には有限会社となっている。戦後の日本美術界において、戦前に結成された団体の相次ぐ復興が大きな流れを形づくって行く中で、新しい造形のあり方を真摯に考え、それを自らの制作の問題にとどまらず、共同で学びあい、模索しあうBゼミというシステムへ結実させた小林の仕事は、20世紀後半の日本美術史の中で特筆すべきものである。なお、Bゼミは99年に副所長に就任した昭夫の長男晴夫によりBゼミLearning Systemと改称されて、現在に至っている。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(238-239頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2017年01月06日 (更新履歴)
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