小野具定

没年月日:2000/05/17
分野:, (日)
読み:おのぐてい

 日本画家で創画会会員の小野具定は5月17日、心不全のため千葉県柏市の病院で死去した。享年87。1914(大正3)年2月16日山口県熊毛郡田布施村に生まれる。本名具定(ともさだ)。旧制中学時代には個人指導により油絵を学ぶ。1931(昭和6)年上京し、川端画学校で初め洋画を学んだのち、33年日本画に転向する。34年東京美術学校日本画科に入学、39年卒業した。この間、38年大日美術院第2回展に「小春」が入選している。卒業後は白木屋百貨店の美術部に勤めるが、徴兵検査を機に退社。40年東京青山の近衛歩兵第4連隊に入隊し、3年間そこへ勤務したのち除隊となって、43年海外報道班員としてラバウル航空隊司令部に配属、南方基地をまわって報道用スケッチを描いた。帰国後の44年、海軍報道部の要請により作戦記録画「第二ブーゲンビル島沖航空戦」を描き、第8回海洋美術展に出品。終戦後は東京や野田、柏で美術の教師を勤めながら創作活動を続ける。47年児玉希望に入門し、同年第3回日展に「木枯の頃」が入選、49年第5回日展に「蚊帳」が再入選。しかしその後は3年続けて落選する。54年新制作協会展に「沼」が入選するが、これを機に希望門下を離れ、以降は新制作協会展に出品するようになる。59年教員を辞め、画業に専念する。61年第25回新制作展より64年第28回展まで4年連続新作家賞を受賞、65年同協会会員となった。67年第31回新制作展「北辺Ⅰ」は文部省買上げとなる。74年創画会結成以後は会員として同会に出品、79年第6回展「海と霧」、80年第7回展「冬ざれ」、83年第10回展「涸れた海」等を発表する。また日本国際美術展、現代日本美術展にも出品している。房総半島沿岸の廃船や廃屋といったモティーフにはじまり、東北、北海道、山陰と北辺の漁村を題材に、白と黒のコントラストを基調とした原風景的イメージの世界を展開。晩年には「記憶の風景」シリーズを手がけ、1999(平成11)年にはそのうちの一つである「2・26の午後」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。95年に練馬区立美術館・下関市立美術館で「刻まれた記憶 小野具定展」、没した翌年の2001年には柏市民ギャラリーで「辺境を描く 小野具定展」が開かれた。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(234頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小野具定」『日本美術年鑑』平成13年版(234頁)
例)「小野具定 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28185.html(閲覧日 2024-04-24)

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