鈴木清

没年月日:2000/03/23
分野:, (写)
読み:すずききよし

 写真家の鈴木清は、3月23日多臓器不全のため川崎市中原区の病院で死去した。享年56。1943(昭和18)年11月30日福島県いわき市に生れる。69年東京綜合写真専門学校卒業。同年『カメラ毎日』に6回にわたって発表した「シリーズ・炭鉱の町」で写真家として出発し、看板描きを生業としながら写真を撮り続ける。自らが生まれ育った環境である炭鉱をテーマとしたデビュー作以降、日本やアジア各地で撮影を行い、独特の強度を持った眼差しでさまざまな風土や時代に生きる人間の生を浮き彫りにする作品を発表する。72年最初の写真集として、炭鉱や旅役者などの複数の主題をめぐる写真をまとめた『流れの歌』を刊行。以後、インドに取材した『ブラーマンの光』(76年)、路上生活者を主題とする『天幕の街』(82年)、潜在意識=夢をキーワードに港町を撮影した『夢の走り』(88年)、昭和の終わりの社会を見つめた『愚者の船』(IPC 91年)、金子光晴の小説をテキストとして編まれた『天地戯場』(92年)、自伝的な写真集と位置づけられた『修羅の圏』(94年)、小説家マルグリッド・デュラスとベトナムの風土に触発された『デュラスの領土』(98年)を刊行。八冊の写真集のうち『愚者の船』をのぞいてはいずれも自費出版。編集・装丁も自ら手がけ、さまざまなフォーマットの写真を組み合わせたり、引用を含む文章を挿入したりした重層的な「書物」としての写真集作りや、壁だけでなく床面、天井なども使った立体的な空間構成を試みた個展でのインスタレーションにも独自の方向性を示した。83 年個展・写真集「天幕の街」で第33回日本写真協会賞新人賞、1989(平成1)年写真集「夢の走り」で第1回写真の会賞、92年個展「母の溟」で第17回伊奈信男賞、95年個展・写真集「修羅の圏」で第14回土門拳賞を受賞。85年から東京綜合写真専門学校の講師を務め、多くの写真家を育てた。死去の直前まで新たな発表の構想を練り続け、死去の半年後、遺された展示構成プランによって新作も含む回顧的な個展「千の来歴。」(コニカプラザ 2000年)が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(231頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「鈴木清」『日本美術年鑑』平成13年版(231頁)
例)「鈴木清 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28177.html(閲覧日 2024-04-20)

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