橋本博英

没年月日:2000/03/04
分野:, (洋)

 洋画家橋本博英は、3月4日午前4時40分、肺せんがんのため東京都新宿区の病院で死去した。享年66。1933(昭和8)年12月23日、内務省に勤務する父の赴任地であった岐阜県岐阜市に生まれる。幼少時を東京で過ごした後、父の転勤により富山県富山市に移り、ここで中学、高校時代を過ごす。54年、東京芸術大学美術学部油画科に入学、同大学4年に進級のおり、伊藤廉教室に入り、58年に卒業。67年7月から1年間、フランスに留学。帰国後、阿佐ヶ谷美術学園、代々木ゼミナール、東京造形大学などで指導にあたる。74年3月、同世代の井上悟、大沼映夫、加賀美勣進藤蕃など11名とともに「黎の会」を結成、東京セントラル美術館で第1回展開催、以後毎年出品をつづける。76年7月、2会場(京王梅田画廊銀座店、泰明画廊)をつかって個展開催、約30点を出品。同年12月、『油絵をシステムで学ぶ』(飯田達夫共著、美術出版社)を刊行。79年8月、富山県民会館美術館にて「橋本博英自選展」開催、これにあわせて作品集を刊行。81年7月、大阪、梅田近代美術館にて「杜の会」結成に参加。83年4月、「富山を描く-100人100点展」(富山県立近代美術館)に「越中八尾早春」を出品、同美術館に収蔵される。1990(平成2)年、画文集『風景の習作と制作』を刊行、これにあわせて出版記念展(富山青木画廊)開催。97年8月、「橋本博英展-光と風のコンチェルト」開催(高崎市美術館等)。明快で、美しく響きあう色面によって構成された風景画は、骨格のある具象表現として質の高いもので、気品と安定感を感じさせた。それは、既成の美術団体に属することなく、また流行にながされることなく、油彩画の伝統を基礎から学ぼうとした姿勢にうらづけられたものであった。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(230頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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