田邊一竹齋

没年月日:2000/02/24
分野:, (工)
読み:たなべいっちくさい

 竹工芸作家で日展参与を務めた田邊一竹齋は、2月24日午後8時35分、低酸素血症のため大阪府堺市の病院で死去した。享年89。1910(明治43)年5月9日、大阪府堺市に生まれる。本名利雄(としお)。幼少より父、田邊常雄(初代竹雲齋)より竹工芸を学ぶ。1931(昭和6)年、「蟠龍図網代方盆」が第12回帝展に初入選し、以来帝展、文展、日展に入選を繰り返す。はじめ小竹雲齋を号し、37年に父が没すると二代竹雲齋を襲名。52年「螺旋紋花籃」で第8回日展特選・朝倉賞を受賞。60年からたびたび日展審査員を努める。61年から日展会員、76年から日展評議員、1992(平成4)年から日展参与を務めた。この間、59年には大阪府芸術賞を受賞し、73年には堺市より有功賞を授与されている。また、78年の日本新工芸家連盟の結成に参加し、80年「<伸>花籃」で第2回日本新工芸展内閣総理大臣賞を受賞。同年、竹芸家同志11名による「竹人会」を創立。81年に勲四等瑞宝章、83年に紺綬褒章を受章。85年には東京国立近代美術館の「竹の工芸-近代に於ける展開-」展に出品し、第1回日工会展に参加した91年には、長男小竹(本名久雄)の三代竹雲齋襲名にともない、一竹齋と改号。レース編みのように繊細な「透かし編み技法」を生み出し、竹工芸の伝統に根ざした格調高い作風で知られた。次男節雄(号陽太)も竹工芸家。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(229頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田邊一竹齋」『日本美術年鑑』平成13年版(229頁)
例)「田邊一竹齋 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28172.html(閲覧日 2024-04-20)
to page top