横田忠司

没年月日:1999/11/29
分野:, (学)

 日本美術史家で多摩美術大学教授の横田忠司は、11月29日午後1時32分くも膜下出血のため東京都千代田区の日大駿河台病院で死去した。享年54。1945(昭和20)年1月3目、横田敏夫・ハル子の四男二女の四男として下関に生まれる。彦島中学、県立下関西高校を卒業後、早稲田大学へ進み、67年3月第一文学部心理学専修を卒業、さらに美術史へ進路を変え、69年3月同美術史専修を卒業、72年3月同大学院文学研究科芸術学専攻修土課程を修了後、博士課程へと進み78年9月に同博土課程を退学。その間、74年4月から78年3月まで文学部助手を務めた。78年4月から多摩美術大学非常勤講師、81年4月に専任講師となり、87年4月から助教授、93(平成5)年4月から教授。また、中央大学理工学部兼任講師、早稲田大学文学部非常勤講師などを務めた。82年3月、岡崎ちづ子と結婚、88年7月に長男啓吾をもうけた。
 実家は病院だが、高校時代から絵を好み、外科医にという父の意に反して、この道に進んだ。専門は、室町時代の水墨画。当初心理学を専攻したことからも知れるように、措く者の内面への興味を持ち、「室町水墨画における画僧の制作意識について」では、数少ない史料から画僧の意識へ踏み込み、その美意識に考察を加えている。また「室町水墨画における画僧について」では、画僧を分類しながら彼らの在りようについて語っている。こまめな史料収集に基づいて特定の事像の全体像を浮かび上がらせようとするのも研究上の特徴の一つで、「中世実景図研究」では五山文学から実際の土地を描きまたそれらとのイメージ連鎖をもつ絵画関係史料を網羅して丹念に分類し、この問題を考えるための基本情報を提供した。近年は、地方志から絵画関係史料を博捜した「日本中世における地方絵画についての基礎研究」を地域別に発表中の急逝だった。実景図関係史料とともに、日本中世絵画史の基礎史料集となったはずであり、それを基礎として浮かび上がる諸々の問題を語る準備途上での急逝でであっただけに惜しまれる。また、「禅林画讃」(共著)は毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
 著述以外にも、多摩美術大学が主催する宗教美術研究会の運営にあたり、また室町水墨画研究会のメンバーとして多くの作品調査に加わった。晩酌を欠かさず、酒宴ではにこにこしながら最後までつきあう寡黙な酒豪だった。

主著
『墨蹟と禅宗絵画』(共著)(『日本美術絵画全集』14、学習研究社、1979年)
『禅林画讃』(共著)(毎日新聞社、1987年)

主要論文
住吉広行(伝記研究)―屋代広賢撰『道の幸』と関連して(美術史研究1、1973年)
初期水墨画家の落款について―主に禅林の画家を中心として(古美術50、1976年)
『東寺百合文書』にみえる法橋長賀について―宅磨派の良賀、長賀に関連して(美術史研究15、1977年)
室町水墨山水における「境」について(古美術59、1980年)
室町水墨画における画僧の制作意識について―とくに愚渓右慧のそれを中心にして(多摩美術大学研究紀要2、1985年)
室町水墨画における画僧の位置づけ―その性格と役割(美学171、1992年)
室町水墨画における画僧について―その性格と役割(宗教美術研究1、1994年)
日本中世における地方絵画についての基礎研究―中部編1静岡(多摩美術大学研究紀要12、1997)
伝明兆筆羅漢図(国華1231、1998年)
日本中世における地方絵画についての基礎研究―中部編2岐阜(多摩美術大学研究紀要13、1998)
中世実景図研究(『日本美術襍稿』佐々木剛三先生古稀記念論文集、明徳出版社、1998年)
日本中世における地方絵画についての基礎研究―中部編3山梨(多摩美術大学研究紀要13、1999)

出 典:『日本美術年鑑』平成12年版(264頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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