鷹山宇一

没年月日:1999/10/25
分野:, (洋)

 二科会名誉理事の画家鷹山宇一は、10月25日午後2時13分、種性血管内凝固症候群のため東京都世田谷区の至誠会第二病院で死去した。享年90。1908 (明治41)年12月10日、青森県七戸町に生まれる。15年七戸尋常高等小学校に入学。在学中、代用教員として赴任した歌人青山哀囚を知り、青山が生徒に回覧した童話雑誌「赤い鳥」によって文学や児童画に興味を持つようになる。特に初山滋の児童画にひかれる。22年旧制青森中学校に入学。翌年棟方志功、松本満史らの結成した青光画社に参加し絵を描き始める。青光画社は当時19歳の棟方を中心に10代の作家たちが設立した美術家集団で青森県で初めての公募展を開催しており、鷹山も出品した。27年(昭和2)旧制青山中学を卒業して上京し、川端画学校に入学。都会風景を好んで描き、この頃の画風にはフォービスム風の再現描写が認められる。同年9月日本美術学校洋画科へ編入する。30年同校を卒業し、同年の第17回二科展に「都会風景」「風景を配せる静物」の2点の木版画を出品して初入選。この頃からフランスの超現実主義に学び、エルンストの表現方法を研究。31年第18回二科展に「ラ・リュヌ・サンボルエ」「街ノ上」「風景を配せる静物」「風景と鳥」の4点の木版画を出品。33年、二科会の前衛的若手作家である高井貞二、伊藤久三郎山口長男らと美術団体「新油絵」を結成しその第1回展を銀座資生堂で開催。38年同じく二科会の前衛作家たちによる「九室会」に参加。また、同年に結成された美術文化協会に参加し、40年その第1回展に「日高川(民族ノ移動ノ内(情炎))を出品し、以後も二科展と同展に出品を続ける。これら戦前の公募展に出品された作品は、おおむね木版画である。43年海軍航空隊員として召集される。45年、美術団体としていち早く再建された二科会に参加。戦後は木版画から油彩画へ転じ、非現実的な幻想の世界を描くようになる。二科展へ出品を続ける一方、50年代、60年代は日本国際美術展、現代日本美術展にも出品。40年代後半から後に鷹山の作品を特徴づける蝶のモティーフが登場し、60年代には青く澄んだ宇宙的空間を背景に幻想的な花と蝶を描く一群の「遊蝶花」をテーマとする作品が描かれた。64年第6回現代日本美術展に「遊蝶花」「草原・静物」を出品して最優秀賞受賞。66年第51回二科展に「海と貝殻」を出品し青児賞受賞。翌67年第52回同展に「高原・湖」「高原と花」を出品し総理大臣賞受賞。「遊蝶花」で確立された画風は晩年まで引き継がれ、油彩の透明感を生かした独自の明澄な青を基調とする作品で知られた。61年二科会理事、79年同会が社団法人として発足した際も同会理事に就任。90(平成2)年七戸町名誉町民の称号を受け、94年に同町に七戸町立鷹山宇一記念美術館(七戸町荒熊内67―95)が設立された。

出 典:『日本美術年鑑』平成12年版(263頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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