吉田克朗

没年月日:1999/09/05
分野:, (美)

 武蔵野美術大学教授の美術家吉田克朗は9月5日午後2時39分食道がんのため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。享年55。1943(昭和18)年9月23日、埼玉県深谷市に生まれる。68年、多摩美術大学絵画科を卒業、在学中は斎藤義重の指導をうけた。同年、第8回現代日本美術展のコンクール部門に、机を二つに切りはなした作品「cut-1」が初入選した。その後、個展によって発表活動をするかたわら、69年の「現代美術の動向」展(京都国立近代美術館)、翌年の「現代美術の一断面」展(東京国立近代美術館)などの企画展に出品した。作品は、紙、石、綿、角材、電球、ロープなど、未加工のままの素材をつかい、それらを組み合わせることで、日常での意味からも、物質性からも「もの」そのものを解きはなち、存在を提示することで表現たらしめようとするもので、題名には「cut-off」(切り離す)という言葉がつかわれていた。この当時、すでに「もの派」という呼称が生まれており、吉田もその中核的な活動をする作家のひとりとして評されていた。一方、版画制作を同時期からはじめており、身辺のスナップ写真をつかったシルクスクリーンによる作品を制作し、70年の第1回ソウル版画ビエンナーレでは、大賞を受賞した。以後、制作の中心を版画制作にうつし、国内外の版画コンクールに出品をつづけた。73年から翌年にかけて、文化庁海外芸術研修生としてイギリスに滞在。70年末には、個展において、傘、衣服、建物の一部に絵の具をつけて、麻布の平面に押し当てる作品を発表した。これも、いわゆるフロッタージュとはことなり、日常の認識からはなれた「もの」としての事実を表現しようとした作品であった。しかし、こうした手の行為による制作は、80年代後半から、手の指、手のひらに直接黒鉛をつけて、画面にむかう平面作品に展開していった。作品は、いずれも大画面に、肉塊のようなフォルムがかさなりあったような圧倒的なイメージを示しつつ、そこに手の行為の痕跡をとどめていくというものであり、この制作方法は最後までつづけられた。「もの派」のひとりとして出発したこの美術家は、行為としての表現、ものそのものとしての表現を採りつづけたことで、現代美術に新しい地平をきりひらき、確かな足跡を残したといえる。

出 典:『日本美術年鑑』平成12年版(261頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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