堀口捨己

没年月日:1984/08/18
分野:, (建)

 元明治大学教授で日本芸術院賞、日本建築学会賞などを受賞した建築家堀口捨己は1984年8月18日に享年89で死去していたことが、平成7年1月28日に行われた「生誕100年記念シンポジウム」で報告された。本人の意志と家族の意向により死去は11年間公表されず、シンポジウムを機会に弁護士が戸籍を調べて明らかになった。茶室の研究と設計で知られた堀口は明治28(1895)年、1月6日に岐阜県本巣郡席田村上ノ保に生まれた。岐阜中学校、第六高等学校を経て、東京帝国大学工学部建築科を卒業した。大正8(1919)年9月に中国を訪れる。同9年、西欧の新しい建築運動を学んで同志とともに「分離派建築会」を結成。同12年渡欧し、フランス、オランダ、イギリス、ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリーなどを訪れ、イタリアに同13年まで滞在した。帰国後は日本の伝統建築の研究に向かい、書院造り、数寄屋建築、茶室などを対象に調査し論考を行い、また名古屋市の旅館、「八勝館、御幸の間」を同25年に設計するなど、設計、建築にも当たった。同年6年より同8年まで帝国美術学校教授、同年16年より同21年まで東京女子高等師範学校講師をつとめ、同31年に明治大学工学部建築科教授となったほか東京大学工学部講師として教鞭を執った。日本建築学会のほか関連団体に多数参加し、日本茶道文化研究会理事、日本庭園協会理事、日本陶磁協会理事、文化財保護委員会専門委員などをつとめた。歌人として皇居歌会始めの召人をつとめたこともあり、文筆にも優れ、同24年『利休の茶室』で北村透谷文学賞、同28年『桂離宮』で毎日出版文化賞を受賞した。他の主要な著書に『現代オランダ建築』『住宅ト庭園』『利休の茶』などがあり、建築の代表作には大島測候所、サンパウロ日本館などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(334-335頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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