辰野登恵子

没年月日:2014/09/29
分野:, (洋)

 画家で、多摩美術大学教授の辰野登恵子は、9月29日、転移性肝癌のため死去した。享年64。
 1950(昭和25)年1月13日、長野県岡谷市に生まれる。68年3月、長野県諏訪二葉高等学校を卒業、同年4月東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻に入学。72年3月、同大学を卒業、同年4月同大学大学院美術研究科油画専攻に進む。74年3月、同大学院修士課程修了。
 在学中から、ポップアート、ミニマルアートの隆盛に敏感に呼応しながら、無機的なフォルムの連続のなかに不意にあわわれる差異や断絶を表現した作品(シルクスクリーン等)を発表していた。その後、1980年代から絵画表現に取り組み、絵画の平面性を意識しつつ、断片的で、かつ具体的なフォルムに依拠しながら現代「絵画」の可能性を切り開いていった。その表現とは、当時のニュー・ペインティングの流行とは一線を画して、ミニマルアート以後硬直化した平面表現に、「絵画」を構成する線やフォルム、色彩の持つ本来の豊かさと深さを提示するものであり、新鮮な衝撃をもって注目されるようになった。84年11月、東京国立近代美術館の「現代美術への視点 メタファーとシンボル」展に出品。(同展は、国立国際美術館に巡回)。1989(平成元)年、ゲント市立現代美術館(ベルギー)で開催の「ユーロパリア ’89ジャパン現代美術展」に出品。94年2月、ゲストキューレターにアレクサンドラ・モンローを迎え、企画された横浜美術館の「戦後日本の前衛美術」展(Japanese Art after 1945:Scream against the Sky)に出品(同展は、米国ニューヨークのグッゲンハイム美術館、並びにサンフランシスコ現代美術館を巡回。)同年、第22回サンパウロ・ビエンナーレ(日本側コミッショナー:本江邦夫)に遠藤利克、黒田アキとともに出品。95年9月、東京国立近代美術館にて「辰野登恵子 1986-1995」展を開催。10年間にわたる絵画作品39点等による個展を開催し、現代における「絵画」表現のひとつの指針を示すものとして評価された。翌年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。2003年、多摩美術大学客員教授となり、翌年から同大学教授となる。12年8月、国立新美術館にて「与えられた形象 辰野登恵子 柴田敏雄」展を開催。翌年、第54回毎日芸術賞受賞。
 90年代以降、華やかな色彩と重厚なテクスチャーに支えられた大画面の空間に、球体、矩形、波形等、きわめてシンプルなフォルムの連環を大胆に描き続けていたが、その背後にはプライヴェートなイメージの増幅、変容ばかりではなく、現代美術、あるいは平面表現の動向に対する批判的、戦略的な造形思考と意図がこめられていたといえる。しかも新作においては、つねに新しい試みが示され、今後の可能性を大いに期待されていた。没後、追悼する展示が、下記にあげるように辰野作品を所蔵する公立美術館等で数多く開催された。こうした現象は、美術関係者にとどまらず多くの人々が、辰野の作品に現代における「絵画」表現の可能性を見出しつつ、現在の美術の側から問い直しを促したものであり、いかにその早逝が惜しまれたことがわかる。
辰野登恵子追悼展」(市立岡谷美術考古館、長野県岡谷市、2015年3月6日-5月10日)
「トリコロール 辰野登恵子展」(Red and Blue Gallery、東京都中央区、同年9月1日-10月17日)
「所蔵作品展 辰野登恵子がいた時代」(千葉市美術館、同年7月7日-8月30日)
「MOMASコレクションⅢ 特集展示 辰野登恵子-まだ見ぬかたちを」(埼玉県立近代美術館、同年10月10日-2016年1月17日)
辰野登恵子 版画1972 1995」展(ギャラリー・アートアンリミテッド、東京都港区、2015年12月5日-2016年1月15日)
「MOTコレクション コレクション・オンゴーイング 特別展示:辰野登恵子」(東京都現代美術館、2016年3月5日-5月29日)
辰野登恵子 作品展」(ツァイトフォトサロン、東京都中央区、同年3月15日-5月7日)
辰野登恵子の軌跡 イメージの知覚化」展(BBプラザ美術館、兵庫県神戸市、前期同年7月5日-8月7日、後期8月9日-9月19日)
「宇都宮美術館コレクション展 特集展示 辰野登恵子 愛でられた抽象」(宇都宮美術館、同年7月31日-9月4日)

出 典:『日本美術年鑑』平成27年版(511-512頁)
登録日:2017年10月27日
更新日:2017年10月27日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「辰野登恵子」が含まれます。
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