多田美波

没年月日:2014/03/20
分野:, (彫)

 アクリルやアルミニウムなどの新しい素材を用い、環境や建築と調和する光あふれる造形を試み続けた多田美波は、3月20日、肺炎のため死去した。享年89。
 1924(大正13)年7月11日、鉱山関係の役人であった父の職の関係で台湾の高雄市に生まれる。4歳の時、父の転任地である韓国に移り、京城師範付属小学校、京城第一高等女学校に学ぶ。同校での担任で女子美術専門学校出身者であった教師から個人的に油彩画の指導を受ける。1940(昭和15)年、第19回朝鮮美術展覧会西洋画の部に「朝鮮の古物」を、43年第22回同展西洋画部に「風景」「習作」を出品。41年女子美術専門学校西洋画科に入学、44年9月に同科を繰り上げ卒業する。同校在学中に、伊原宇三郎の個人指導を受ける。56年、第41回二科展に「変電所」(油彩)を初出品。57年、第9回読売アンデパンダン展に油彩画「変電所R」「変電所L」を出品。同年、東京炭労会館にレリーフ「炭鉱」を制作し、立体作品に移行し始める。58年第43回二科展彫刻部に「OPUS―0」を、第10回読売アンデパンダン展に油彩画「変電所」を出品。59年、第44回二科展彫刻部に「OPUS―1」を、60年、第45回同展に蝋型ブロンズによる「発祥」「虚」を、同年の第12回読売アンデパンダン展に油彩画「ある一つの邂逅」「作品X」を出品。61年、第46回二科展彫刻部に「作品1」「作品2」を、第13回読売アンデパンダン展彫刻部に「非」を出品。62年、多田美波研究所を設立。この頃から、建築装飾や照明器具などの製作も行うようになる。63年、第15回読売アンデパンダン展にアルミニウムを素材とする「周波数37303011MC」を「かけら」と題して出品し、以後、「周波数」シリーズが続く。64年頃からアクリル樹脂による立体造形を試みる。65年、第8回日本国際美術展に「周波数37306505MC」を出品して優秀賞を受賞。同年、第1回現代日本彫刻展(宇部市)に「周波数37306560MC」を、66年、第7回現代日本美術展に「周波数37306633MC」を、67年、第9回日本国際美術展に「周波数37306776MC」を出品。68年EXPO’70(大阪万博会場)に「Laptan No.1」を制作し、同年第8回現代日本美術展に「Laptan No.2」を出品して優秀賞を受賞する。また同年の第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「空」を出品。また、同年、皇居新宮殿「春秋の間」ほかに光造形、ペンダント、照明器具等を制作する。69年、第3回現代日本彫刻展に「Aufheben」を出品。同年の第9回現代日本美術展に「Phase Space 6943」を出品して神奈川県立近代美術館賞を受賞。70年の大阪万博に際しての万国博覧会美術展には「Epicycle No.2」を出品。同年の第2回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「Aufheben」「ルミナス・ボックス」「Epicycle」と神戸市美術愛好家協会賞を受賞した「地球の光、北緯34°39’東経135°7’15’’<水面><空中><地表>」を出品。71年、第4回現代日本彫刻展にアクリルと鉄を素材とし、正方形の表面を対角線上に湾曲させた「超空間」を出品して大賞受賞。72年、新潮社主催の第4回日本芸術大賞を受賞。同年第3回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に「Space Eye」「Laptan No.2」「Epicycle No.2」を出品して「Space Eye」で朝日新聞社賞受賞。73年、第1回シドニー・ビエンナーレ展に「Pole」を出品。74年に湾曲した金属鏡面による銀座Leeビルのファサードデザインを、新宿住友ビルに三角形をモチーフとした天井と床の造形を制作する。75年、第6回「現代日本彫刻展―彫刻のモニュマン性」に透明なアクリル壁の上部を半円状にたわませた「天象」を出品して宇部興産賞受賞。76年、第5回「神戸須磨離宮公園現代彫刻展―都市公園への提案」に透明なアクリル板による円錐形で構成した「透明」を出品して大賞・神戸市長賞受賞。同年照明学会創立60周年記念功労者賞受賞。77年、第3回彫刻の森美術館大賞展に「透明」を出品して特別賞を受賞。同年第7回現代彫刻展に「双極子」を出品して宇部興産賞受賞。また、同年ワシントンに一ヶ月滞在し、在米日本国大使館公邸に光造形を制作した。78年、第6回「神戸須磨離宮公園現代彫刻展―都市彫刻への提案」に湾曲させた透明な強化ガラス板を複数林立させて構成した「旋光」を出品し、国立国際美術館賞受賞。同年6月ブラジル・ブラジリアの日本国大使公邸で光造形の制作を行い、その後、ペルーのナスカなどを旅する。79年、第1回ヘンリー・ムーア大賞展に「極」を出品して大賞受賞。同年の第8回現代日本彫刻展に「Chiaroscuro」を出品し、東京国立近代美術館賞受賞。80年、第21回毎日芸術賞受賞。同年の第7回「神戸須磨離宮公園現代彫刻展―都市景観の中の彫刻」に「時空」を出品し、神奈川県立近代美術館賞受賞。81年、第9回現代日本彫刻展に「時空No.2」を出品し特別賞・宇部市制施行60周年記念賞受賞。同年第6回吉田五十八賞受賞。82年4月、オーストラリア・ニューカッスル市美術館前庭に「時空No.2」を設置するために同地に滞在。同年、三重県立美術館に陶板によるレリーフ「曙」を制作する。83年、芸術選奨文部大臣賞受賞。同年、帝国ホテル光の間他に光造形を制作する。1989(平成元)年5月、東京・有楽町アートフォーラムで「多田美波展―超空間へ」、90年、愛知県碧南市文化会館で「多田美波展」、91年には三重県立美術館、東京都渋谷区立松濤美術館で「多田美波展」が開催された。年譜や文献目録は同展図録に詳しい。同年、新東京都庁舎都議会議事堂に「澪」を、93年、東京都江戸東京博物館に天井造形「翔彩」を制作。97年、長野オリンピック冬季大会競技会場エムウェーブ外庭に彫刻「Velocity」を設置。2001年から翌年には台湾の高雄市立美術館、台北市立美術館にて個展を開催し、02年に台湾総督府官邸に彫刻「時空’89」を、翌年には交流協会台北事務所に「周波数373004MC」を、雲林県古坑サービスエリアに彫刻「伸」を設置した。09年10月、彫刻の森美術館40周年記念「多田美波展―光を集める人」、10年2月には中国・上海月湖彫塑公園で個展を開催した。
 戦後、工業技術の発達によって登場した新たな素材と技術を用い、表面を鏡のようにしたり、透明な素材を用いることにより、作品にその周囲、あるいは鑑賞者の動きを取り込み、量塊性を重視した古典的彫刻概念に変革を迫った。また、建築空間と調和し、デザイン性と造形性を併せ持つ作品を数多く制作した点も特筆される。90年に画集『多田美波』(平凡社)が刊行されている。逝去の年の5月30日に、多田が内部装飾を手がけた東京都千代田区の帝国ホテルにおいて多田美波研究所主催による「しのぶ会」が開かれた。

出 典:『日本美術年鑑』平成27年版(493-494頁)
登録日:2017年10月27日
更新日:2017年10月27日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「多田美波」が含まれます。
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