豊島弘尚

没年月日:2013/10/19
分野:, (洋)

 洋画家の豊島弘尚は10月19日、肺がんのため死去した。享年79。
 1933(昭和8)年12月10日、青森県上北郡横浜町に生まれる。本名は豊島弘尚(としまひろたか)。40年教員をしていた父の転任で八戸に移り、少年時代を八戸で過ごす。52年に八戸高等学校を卒業し上京、翌年東京藝術大学に入学、在学中の56年に稲葉治夫、高山尚、渡辺恂三と新表現主義展(60年に新表現展と改称)を結成し、第1回展を新橋の美松画廊で開催。57年東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻(林武教室)を卒業、安宅賞を受賞する。その後、銀座・サトウ画廊、村松画廊、ミキモトホール、日本橋高島屋コンテンポラリーアートスペース等で個展中心の発表を続ける。60年代には頭や人体の一部を切り取ったフォルムの中に、現代人の抱える不安や孤独を投影させた内面的な世界を表現していたが、74~75年文化庁在外芸術家派遣員としてニューヨーク、ストックホルムに滞在、その折に出会った北欧神話とオーロラの美しさに魅せられ、以後それらをモティーフとした壮大で幻想的な宇宙を描くようになる。76~87年は毎年1ヶ月パリに滞在。87~1989(平成元)、91、97年ストックホルムに滞在。93年東京を離れ、栃木県の那須高原にアトリエを建て移住。98年「空に播く種子(父の星冠)」により第21回安田火災東郷青児美術館大賞受賞。2002年に八戸市美術館で「豊島弘尚展―北の光に魅せられて」を開催。さらに同館では、没後の14年に八戸市へ遺族から400点を超える作品が寄贈されたのを機に、その翌年「豊島弘尚展 北の光と三つの故郷」を開催している。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(467頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2016年09月05日 (更新履歴)
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