東松照明

没年月日:2012/12/14
分野:, (写)
読み:とうまつしょうめい

 写真家の東松照明は、12月14日肺炎のため那覇市内の病院で死去した。享年82。
 1930(昭和5)年1月16日愛知県名古屋市に生まれる。本名・照明(てるあき)。50年愛知大学経済学部に入学。写真部に入部し、カメラ雑誌の月例公募欄への応募などの制作活動とともに、52年の全日本学生写真連盟の結成に向けた活動にも携わる。54年同大学を卒業、上京し『岩波写真文庫』の特別嘱託を経て、56年よりフリーランスとなる。59年奈良原一高、川田喜久治、細江英公らと写真家の自主運営によるエージェンシー「VIVO」を結成(1961年解散)。65-69年多摩芸術学園写真学科講師、66-73年東京造形大学助教授。72年沖縄に移住、那覇および宮古島に約2年にわたって滞在後、帰京。86年に心臓のバイパス手術を受け、87年療養を兼ね千葉県一宮町に移住。1998(平成10)年に長崎市、2010年からは沖縄市に移り住んだ。
 『中央公論』誌に発表した「地方政治家」(1957年)などの一連のルポルタージュが評価され、57年度日本写真批評家協会賞新人賞を受賞、61年には土門拳とともに撮影にあたった『Hiroshima-Nagasaki Document 1961』(原水爆禁止日本協議会、1961年)により同作家賞を受賞するなど、第二次世界大戦後に出発した新世代の写真家の旗手として早くから注目された。60年代には在日米軍の存在を通して戦後社会を見据えた「占領」や、消えゆく日本の原風景としての「家」、被爆地長崎をテーマとした「NAGASAKI」など、同時代の日本社会の根底を深く掘り下げる一連の作品にとりくみ、評価を確立する。67年には自ら出版社「写研」を設立、写真集『日本』(1967年)、『おお! 新宿』(1969年)、機関誌『KEN』(1970-1971年)などを刊行、また66年より日本写真家協会主催の「写真100年」展(1968年)に編纂委員として参加、同展をもとに刊行された『日本写真史1840-1945』(平凡社、1971年)の編集、執筆にも携わるなど多彩な活動を展開した。
 米軍基地への関心から60年代末よりたびたび沖縄を取材で訪れ、沖縄の返還後には長期滞在し、沖縄の風土に日本の原風景を重ね見た写真集『太陽の鉛筆』(カメラ毎日別冊、毎日新聞社、1975年)を発表。同書により毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。こうしたとりくみを通じて関心を同時代の社会から日本の基層文化へと広げ、また70年代後半にはそれまでのモノクロ中心からカラー中心へと転換するなど、沖縄滞在は一つの転機となった。帰京後74-76年には、宮古島で現地の若者と自主学校「宮古大学」を運営した経験を踏まえ、荒木経惟、森山大道らとWORKSHOP写真学校を開設・運営。この活動はその後の写真家による自主運営ギャラリーなどの活動の源泉の一つとされる。以後80年代にかけては、引き続き沖縄に取材した「光る風――沖縄」(撮影1973-1991年、写真集『日本の美 現代日本写真全集第8巻 光る風 沖縄』、1979年)、「京」(1982-1984年)、「さくら」(撮影1979-1989年、写真集『さくら・桜・サクラ120』、ブレーンセンター、1990年)などのカラー作品を発表。また81年には実行委員会形式の写真展「いま!! 東松照明の世界・展」が日本各地を巡回した。80年代後半から千葉県一宮町の海岸などで撮影された「プラスチックス」(撮影1987-1989年、個展1989年)、「インターフェイス」(撮影1991-1996年、一部先行作品の撮影は1966、1968-1969年。個展1996年)など、俯瞰構図で被写体を直截的に捉えつつ、抽象性を帯びたカラー作品を発表する。
 90年代にはメトロポリタン美術館(1992年)、東京国立近代美術館(1996年)、東京都写真美術館(1999年)などで数多くの新作展や回顧展が開催され、2000年代に入ると「長崎マンダラ」(長崎県立博物館、2000年)以後、沖縄(2002年)、京都(2003年)、愛知(2006年)、東京(2007年)において、「マンダラ(または曼陀羅)」と題し、従来の発表の文脈を解体し、撮影地ごとに新たな視点で作品を編成し直した展覧会を開催。また海外で本格的な回顧展(「Shomei Tomatsu:Skin of the Nation」2004-2007年に、ニューヨーク、サンフランシスコ他、欧米5都市を巡回)が開催され、09年には「東松照明展:色相と肌触り 長崎」(長崎県美術館)、11年には「東松照明と沖縄:太陽へのラブレター」(沖縄県立博物館・美術館)、「写真家・東松照明全仕事」(名古屋市美術館)が開催されるなど、戦後の日本におけるもっとも重要な写真家の一人として、晩年にはその仕事への評価が進められた。95年に紫綬褒章、05年に日本写真協会賞功労賞を受ける。
 三度にわたって写真集が刊行され、その後も撮影にとりくんだ「NAGASAKI」シリーズに典型的なように、東松はしばしば一つの主題を繰り返しとりあげ、また晩年には過去の作品をくり返し再検証し、新たな構成で発表を重ねた。こうした写真を「過去の時間」と「現在進行形の時間」という二重の時間性において問い直す営為を通じて、同時代に対して常にアクチュアルな問題提起を試みる姿勢は、文明論的な批評性を持つ視点のとり方や、独特の造形・色彩感覚にもとづく映像美とともに、東松の写真家としての仕事を特徴づけるものであった。作品はもとより、発言や行動を通じても同時代及び後続の世代に大きな影響を与えた。死去後の13年5月には『現代思想5月臨時増刊号 総特集東松照明 戦後マンダラ』が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(424-425頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「東松照明」『日本美術年鑑』平成25年版(424-425頁)
例)「東松照明 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204410.html(閲覧日 2024-03-29)

以下のデータベースにも「東松照明」が含まれます。

外部サイトを探す
to page top