森秀雄

没年月日:2012/09/20
分野:, (洋)
読み:もりひでお

 エアブラシによる写真のような画面で青空を背景とする人物像を描いた洋画家森秀雄は9月20日、大腸がんのために死去した。享年77。
 1935(昭和10)年7月27日、三重県鈴鹿市江島町に生まれる。父は伊勢型紙の彫り師であった。59年東京藝術大学絵画科油画専攻を卒業。小磯良平に師事した。学生時代、塗り重ねによる重厚な絵肌の油彩画の制作が不得手であると認識し、写真を画面に写し取り、エアブラシで着色する方法の研究を始める。62年第12回モダンアート協会展に「SAKUHIN「P」」を出品して奨励賞受賞。63年、第13回同展に「美学の裏側」を出品して新人賞受賞。66年、モダンアート協会を退会し、翌年から一陽展に出品。67年、リキテックス絵の具の輸入を高松次郎とともに奨励し、絵の具を画面に吹き付けるためのスプレーガンの改造を北伸精器と重ねる。同年第13回一陽展に「PARALLEL-オンナ」、「PARALLEL-赤の帯」を出品して一陽賞受賞。68年、第14回一陽展に「SUN WARD SUN WARDS (彼女とバラと)」「LISING SUN(彼女とバラと)」を出品して一陽会会友となる。69年、紀伊国屋画廊にて個展「偽りの青空」を開催。エアブラシによる写真のように平滑な色面で、青空を背景に人体石膏像を描く「偽りの青空」シリーズは、材料・技法の新しさと斬新な表現で注目された。69年第15回一陽展に「青の広告(白による)」「青の広告(青による)」を出品して、同会員に推挙される。70年から76年までジャパンアートフェスティヴァルに出品。同展は70年には米国のグッゲンハイム美術館他で、71年はリオとミラノで、72年はメキシコとアルゼンチンで、73年は西ドイツほかで、74年はカナダで、75年はオーストラリア、ニュージーランドで、76年は米国で開催された。74年、日本国際美術展(毎日新聞社主催)に招待出品して優秀賞を受賞。80年、青空と波立つ海を背景に左胸部が破損したミロのヴィーナスの像をエアブラシによって再現的に描いた「偽りの青空-蘇えるヴィーナス」で第23回安井賞特別賞受賞。81年、「10人の画家たち展」(神奈川県立近代美術館)に「偽りの青空」シリーズの6点を出品。84年、池田20世紀美術館で「森秀雄 青の世界」展を開催。87年、第10回東郷青児美術館大賞を受賞。88年には池田20世紀美術館に800号の壁画「My Dream(一碧湖)」を完成させる。画面にスプレーによって絵の具を吹き付けて白い雲の浮かぶ青空を背景に石膏像のような人物像を描き、フォトリアリズムとシュールレアリズムを融合した画風を示した。その作風は、同様の傾向を示した三尾公三の作品とともに、広く受け入れられたが、高度成長が進み、都市に高層ビルが林立する一方で、軽薄短小な傾向が評価され、人間性が疎外されていった1960年代後半からの日本社会を反映しているようでもある。2001(平成13)年にはニューヨークのウエストウッドギャラリーで個展を開催。翌年にはジャパン・インフォメーション・カルチャー・センター(ワシントンDC)で日本大使館主催による個展「偽りの青空」を開催した。05年、東京芸術劇場にて「森秀雄展 偽りの青空」を開催。06年、一陽会代表となる。10年には中国美術館にて同館主催の個展「偽りの青空 森秀雄」展が開催され、国際的にも知られた。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(417-415頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「森秀雄」『日本美術年鑑』平成25年版(417-415頁)
例)「森秀雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204400.html(閲覧日 2024-04-20)
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