清水善三

没年月日:2012/07/16
分野:, (学)

 京都大学名誉教授で、日本彫刻史研究者の清水善三は、7月16日、虚血性心疾患のため京都市内の自宅で死去した。享年81。
 1931(昭和6)年5月13日、静岡県浜名郡鷲津町(現、湖西市)に生まれる。50年愛知県立豊橋時習館高等学校卒業、同年京都大学文学部に入学。大学2年の時に結核にかかり、4年間の休学を余儀なくされた。その病床で出会ったのが仏像であったという(「ひと 新世紀 仏の顔」『京都新聞』1985年12月19日)。京大教養部で教鞭をとっていた、インド美術史を専門とする上野照夫の「美学はやるな。飯が食えんぞ」という口癖を乗り越えて、58年に同大学院文学研究科修士課程(美学専攻)に進学。芸術の自律的原理および芸術の自律的研究方法を追求した植田寿蔵を師とする井島勉、文化財保護委員会や奈良国立博物館等を歴任し、平安初期彫刻と室町水墨画など多ジャンルにわたる研究をおこなった蓮實重康のもとで、仏教美術を学んだ。くわえて学生時代には、当時、京都国立博物館学芸課に勤めていた毛利久に調査手法を学び、また京大文学部で「平安初期密教美術」を講義していた佐和隆研の授業に出席し、佐和のお伴で醍醐寺をはじめとする全国各地の調査に加わったという。
 63年京大大学院文学研究科博士課程(美学専攻)単位取得満期退学、68年4月京都精華短期大学助教授に着任。71年4月に京大文学部助教授、79年11月学位論文『平安彫刻史の研究』を提出。翌年に教授となり、着任より24年間にわたって後進の指導に従事した。1995(平成7)年3月に定年退官。退官後は、さらに東海女子大学文学部教授(2002年まで)、文化庁文化財保護審議会第一専門調査会専門委員(2000年まで)を務めた。
 清水の彫刻史研究は、彫刻様式の発展過程を跡づける様式論と史料読解にもとづく仏師論に大別され、またいち早く「場」の問題(仏像と空間の関係)に言及したことも特筆される。清水の様式論は、当時、優美性や情緒性などの印象批評的な評言で語られることの多かった彫刻史への批判に発し、彫刻の様式の概念を明確に規定して、その様式概念にもとづいて彫刻史全体を体系化しようとするものであった。作品のもつ固有の特質・視覚的造形的な本質・内的な形式を見極め、美術の固有の歴史を解明しようとする京大美学の学風を色濃く受け継ぐもので、様式論を完全に美学的に昇華させた点に特色がある。一方、様式史の対象とならないとみなされた、個々の彫刻がもつ特殊性(尊格や図像の相違、作者の違い等)にも目配りをしており、仏師と仏師組織に関する研究が、様式論を補完する役割として展開されることになったと想像される。
 立体物としての彫刻がもつ「物理的量」と、それに独自な彫刻的手法をほどこすことによって造形化される「視覚的量」の関係を彫刻の「様式」と規定し、時代様式として完成しているものについては両者の一致がみられ、過渡期においては両者に齟齬が生じるという独特の彫刻史観は、仏像の美的価値の構造を客観的に真摯に追究しようとした清水の到達点であった。
 主著に『平安彫刻史の研究』(中央公論美術出版、1996年)、『仏教美術史の研究』(同、1997年)があるほか、解説・書評等多数。大宮康男による追悼文「清水先生の思い出」(京都大学以文会『以文』57、2014年)より、誠実温厚な人となりがうかがわれる。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(417頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2016年08月09日 (更新履歴)
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