佐藤忠良

没年月日:2011/03/30
分野:, (彫)

 彫刻家で、東京造形大学名誉教授の佐藤忠良は3月30日、老衰のため東京都杉並区永福の自宅で死去した。享年98。
 1912(明治45)年7月4日、宮城県黒川郡落合村舞野字仁和多利86番地(現、大和町落合字舞野)に生まれる。父は郡立黒川農学校の教師をしていた。1919(大正8)年、前年に父が没したため、母の実家である北海道夕張町に転居。1930(昭和5)年3月、札幌第二中学校を卒業、32年画家を志して上京、中学校の一年下であった船山馨(小説家、1914-1981)の下宿に同居しながら川端画学校に通学。34年4月、東京美術学校彫刻科塑像部に入学、同級に舟越保武、山本恪二、昆野恆等がいた。37年4月、美術学校の先輩であった柳原義達のすすめで第12回国画会に「裸習作」等を出品、初入選で同会奨学賞を受賞。同年、中学の先輩にあたる本郷新、山内杜夫等が前年結成した造型彫刻家協会(ZTK)に参加。38年10月、第2回文部省展覧会に「女」が初入選。39年3月、東京美術学校を卒業、国画会彫刻部を退会した本郷新、山内杜夫とともに新制作派協会彫刻部創立に参加、会員となる。同年11月の第4回同協会展に「海(トルソ)」、「空(トルソ)」を出品。以後、同協会展に2009(平成21)年まで、戦中、戦後の一時期をのぞき毎回出品。44年7月召集、満州に渡り、ソ連、朝鮮国境近くの東寧に派遣される。45年、終戦を知らぬまま約一か月間逃避行をつづけた後に投降、その後3年間シベリアの収容所(イルクーツク州タイシュタット)に抑留。48年夏、舞鶴港に帰還。東京世田谷の本郷新のアトリエに寄寓して、制作活動を再開。
 52年9月、第16回新制作展に「群馬の人」を出品。この作品は翌年1月の朝日新聞社主催第4回秀作美術展に選抜された後、東京国立近代美術館に収蔵された。「群馬の人」は、後に「美男美女でない日本人の顔を作り続けたが、(中略)本当のいい男、女、言いかえれば生き生きした人間の顔を作りたかっただけだったのだ。」(『つぶれた帽子』より)と記しているが、当時は素朴ながら力強いリアリズムが評価された。59年、絵本『やまなしもぎ』(福音館書店)を刊行、以後『おおきなかぶ』(1962年)等絵本原画の制作が80年代までつづく。60年4月、「群馬の人」をはじめとする一連の日本人の顔をテーマにした作品に対して、第3回高村光太郎賞を受賞。50年代から60年代にかけては、女性像と並行して、小児をモデルにその無垢な表情と動作を表現した作品の制作をつづけた。66年、東京造形大学美術科主任教授となる。71年、同大学の学生たちとヨーロッパ各地を訪れる、これが初めてのヨーロッパ旅行であった。72年、第36回新制作展に「帽子・夏」を出品、この時期より帽子をかぶり、ジーパンをはいた女性像が現代的で新鮮な具象表現として注目された。73年10月、「支倉常長像」がメキシコ南部の都市アカプルコ・デ・フレアス市に設置されるにあたり、除幕式に出席。その帰途アメリカ、ヨーロッパ各地を巡り、ヘンリー・ムーア、マリノ・マリーニ、ジャコモ・マンズー等のスタジオを訪れる。74年1月、前年11月東京で開催した「佐藤忠良自選展」の評価により第15回毎日芸術賞、また「帽子・あぐら」(前年9月、第37回新制作協会展出品)により、同年3月芸術選奨文部大臣賞をそれぞれ受賞。75年10月、「カンカン帽」(1975年9月、第39回新制作展出品)により第6回中原悌二郎賞を受賞。
 81年5月、パリの国立ロダン美術館にて、彫刻117点、デッサン20点からなる「Churyo Sato(佐藤忠良展)」開催。同年8月、「パリ・国立ロダン美術館開催記念;ブロンズの詩・佐藤忠良展」を国立国際美術館で開催。同展は、その後、83年までに全国8館を巡回。86年、東京造形大学名誉教授となる。88年11月、彫刻94点、レリーフ5点、デッサン50点等から構成された「佐藤忠良のすべて」展が岩手県民会館で開催され、これを皮切りに全国11会場を巡回。89年1月、1988年度朝日賞を受賞。90年6月、宮城県美術館に佐藤忠良記念館が開館。92年、彫刻芸術と地方文化の振興に寄与した功績により第41回河北文化賞受賞。同年8月、テレビ番組収録のためにシベリアの抑留地付近を再訪、同年10月にNHK衛生放送で「彫刻家佐藤忠良の世界」が二日間にわたり放送される。95年4月、生誕地である宮城県大和町の大和町ふれあい文化創造センター内に佐藤忠良ギャラリーが開設。98年3月、佐川美術館(滋賀県守山市)内に佐藤忠良館が開設、記念展が開催される。2008年9月、札幌芸術の森野外美術館内に佐藤忠良記念子どもアトリエが開設。10年12月、世田谷美術館で「ある造形家の足跡:佐藤忠良展」が開催され、彫刻87点、素描72点、絵本・挿絵原画79点等が出品された。同展が、生前最後の個展になった。
 佐藤は、柳原義達(1910-2004)、舟越保武(1912-2002)とならんで、戦後の良質な具象彫刻において欠くべからざる存在であり、その作品は生活感情と時代感覚に根ざした現代の人間像として生き生きと表現した点で高く評価される。長期間にわたる創作のなかで生まれた数々の作品は、作風の上で大きな展開があるわけでもなく、また各時代の流行や風俗と無縁ではない。しかし一貫しているのは、写実を通して生きた人間を表現することに徹したものであった。上記の展覧会において刊行された図録等の他に、下記のような作品集、著作がある。
主要な作品集
『彫刻=佐藤忠良1949-1971』(現代彫刻センター、1971年)
佐藤忠良作品集』(現代彫刻センター、1973年)
佐藤忠良作品集 大きな帽子』(現代美術社、1978年)
『旅の走り描き 自選素描集』(現代美術社、1980年)
『アトリエの中から 自選素描集』(現代美術社、1980年)
佐藤忠良』(全2冊、講談社、1989年)
佐藤忠良作品集』(河北新報社、1990年)
藤田観龍『佐藤忠良写真集―全野外作品』(本の泉社、2003年)
佐藤忠良 彫刻七十年の仕事』(講談社、2008年)
主要な著述集等
『対談 彫刻家の眼』(対談舟越保武)(講談社、1983年)
『子どもたちが危ない―彫刻家の教育論』(岩波書店、1885年)
『つぶれた帽子』(日本経済新聞社、1988年)
『触ることから始めよう』(講談社、1997年)
『ねがいは「普通」』(対談安野光雅)(文化出版局、2002年)
『彫刻の〈職人〉佐藤忠良―写実の人生を語る』(草の根出版会、2003年)
『生誕100年 彫刻家佐藤忠良』(美術出版社、2013年)

出 典:『日本美術年鑑』平成24年版(430-431頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「佐藤忠良」が含まれます。
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