植村鷹千代

没年月日:1998/02/26
分野:, (評)

 美術評論家の植村鷹千代は2月26日午前0時42分、肺気腫のため東京都新宿区の病院で死去した。享年86。明治44(1911)年11月2日、奈良県高市郡高取町の旧華族の家に生まれる。昭和7(1932)年大阪外語学校仏文科を卒業。その後日本外事協会、南洋経済研究所に勤務、南方古美術の研究を担当するかたわら、同14年より評論活動を開始、美術評論の草分け的存在として活躍する。同18~20年同盟通信社に勤務。この時期、「決戦下における生産美術の指命について」(『画論』27号)など戦意高揚のための評論を執筆する。同22年、モダンアートの幅広い結束を求めて結成された日本アバンギャルド美術家クラブに代表員として参加、翌24年3月の『アトリエ』には「レアリテとレアリズム」を掲載し、いわゆる“リアリズム論争”に加わって前衛美術擁護の論陣を張った。同40年より日本大学芸術学部講師となるが、この頃から伝統や風土への復帰への論調が目立つようになった。同46年美術愛好会サロン・デ・ボザール会長に就任。同52年紫綬褒章受章。同57年から10年間文化勲章・文化功労者選考委員を務めた。主要著書に『現代美の構想』(生活社 昭和18年)、『現代絵画の感覚』(新人社 昭和23年)、『幻想四季』また翻訳に、ドラクロワ『芸術論』(創元社 昭和14年)、ハーバード・リード『芸術と環境』(梁塵社 昭和17年)、アルフレッド・H.バー・ジュニア『ピカソ 芸術の50年』(創元社 昭和27年)、ハーバード・リード『芸術による教育』(水沢孝策と共訳 美術出版社 昭和28年)、ハーバード・リード『今日の絵画』(新潮社 昭和28年)、ガートルード・スタイン『若きピカソのたたかい』(新潮社 昭和30年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(418頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「植村鷹千代」が含まれます。
to page top