神吉敬三

没年月日:1996/04/18
分野:, (学)
読み:かんきけいぞう

 上智大学教授で美術評論家の神吉敬三は4月18日午前9時2分、肺ガンのため埼玉県伊奈町の埼玉県立がんセンターで死去した。享年63。昭和7(1932)年5月8日、山口県下関市長府町松小田に生まれる。同14年下関市名池小学校に入学するが同年9月、旧国鉄職員であった父の職務の関係で東京池袋高田第二小学校に転入する。同17年静岡市森下小学校に転入し、同20年同校を卒業して静岡県立静岡中学校に入学する。同年9月岐阜県立第二中学校に転入し同22年4月、埼玉県立浦和中学校に転入。同23年同校を卒業し同県立浦和高校に入学して、同26年同校を卒業した。同27年上智大学経済学部商学科に入学。同30年4月、聖イグナチオ教会で受洗し、クリスチャンとなる。同31年、上智大学を卒業してスペイン政府給費留学生としてスペイン国立マドリード大学哲文学部に留学。翌32年6月、同大学スペイン学コースを卒業して7月にドイツ美術研究のためドイツを訪れる。同年9月マドリード大学哲文学部美術史コースに学ぶ。同33年7月パリ・カトリック協会給費生としてフランス、ベルギー、オランダに遊学。翌34年8月イタリア美術研究のためイタリアに渡るが、同年9月上智大学の帰国要請によりマドリード大学を中退して帰国し、上智大学外国語学部イスパニア語学科助手となる。同36年上智大学外国語学部イスパニア語学科専任講師、同40年同助教授となり、同44年同教授となった。同48年より翌年までスペイン政府の招聘によりスペイン高等科学研究所美術部門(ベラスケス研究所)で研究したほか、同50年スペイン王立サン・フェルナンド美術アカデミー客員、同52年スペイン王立サンタ・イザベル・デ・ウングリア美術アカデミー客員となるなど、スペインでの研究活動も積極的に行い、その内容は気候、風土、生活習慣などの体験的理解にもとづくものであった。また、同47年よりしばしば国立西洋美術館購入委員をつとめた。同52年より地中海学会初代事務局長となったほか、日本イスパニア学会理事をもつとめるなど、学会活動にも寄与した。同60年日本スペイン協会より会田由賞受賞。平成9年地中海学会賞受賞。平成3年より大塚国際美術館創設のプロジェクトのひとつとして、エル・グレコの大祭壇衝立の復元に取り掛かり、没するまでこれに従事した。著書に『ゴヤの世界』(講談社原色写真文庫 1968年)、『ゴヤ』(ヴァンタン版 原色世界美術全集 集英社 1973年)、『グレコ』(新潮社美術文庫 1975年)、『ベラスケス』(世界美術全集 集英社 1976年)、『ピカソ』(現代世界美術全集 講談社 1980年)、『青の時代』(ピカソ全集1 編・著 講談社 1981年)、『バラ色の時代』(ピカソ全集2 編・著 講談社 1981年)、『キュビスムの時代』(ピカソ全集3 編・著 講談社 1982年)、『幻想の時代』(ピカソ全集5 編・著 講談社 1981年)など、また、翻訳書にフォンタナ著『白の宣言』(現代芸術25 1964年)、ホセ・オルテガ・イ・ガゼット著『大衆の反逆』(角川書店 1967年)、ホセ・オルテガ・イ・ガゼット著『芸術論集』(オルテガ著作集3 白水社 1970年)、エウヘニオ・ドールス著『バロック論』(美術出版社 1970年)、エウヘニオ・ドールス著『プラド美術館の三時間』(美術出版社 1973年)などがあり、16世紀以降のスペインの巨匠について幅広く研究するとともに、日本でのスペイン美術紹介に尽力した。上智大学のほかに東京大学、東北大学、慶応義塾大学、学習院大学などでもスペイン美術史を講じ、後進の指導にも尽くした。没後、著作集『巨匠たちのスペイン』(毎日新聞社 1997年)が刊行され、年譜・著作目録は同書に詳しく掲載されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(346頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「神吉敬三」『日本美術年鑑』平成9年版(346頁)
例)「神吉敬三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10691.html(閲覧日 2024-04-19)

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