小川光晹

没年月日:1995/01/12
分野:, (学)
読み:おがわこうよう

 同志社大学教授、環太平洋学会長の美術史家小川光晹は1月12日午前1時15分、脳こうそくのため京都市左京区の石野病院で死去した。享年69。大正15(1926)年1月3日奈良市登大路59番地に生まれる。父は美術写真家の草分けのひとりで飛鳥園を営んだ小川晴晹。奈良県立師範学校附属小学校、奈良県立郡山中学校を経て、昭和19(1944)年8月第二早稲田高等学院文科を卒業。早稲田大学文学部に入学するが、同21年3月に中退。同志社大学文学部に入学し、同25年に同大学を卒業する。在学中は思想史家、石田一良に師事した。同24年東山高等学校教諭となり、翌年奈良県立奈良高等学校へ移ったが、同26年同志社大学文学部助手となり、同29年専任講師、同34年助教授、同40年教授となった。同41年5月より11月まで外遊し、主に米国ボストン美術館で調査・研究にあたった。主要論文に「法隆寺夢殿救世観音像」(『文化史学』3号、昭和26年)、「白鳳彫刻の成立」(『文化学年報』第6 昭和32年)、「古墳と埴輪」(『文化学年報』第7 昭和33年)、「美術史と時代区分」(『文化史研究』9号 昭和34年)、「古代の肖像彫刻に現われた歴史意識』(『日本における歴史思想の展開』至文堂 昭和36年)、「天平様式の成立について」(『日本文化史論集』 昭和37年)、『奈良美術史入門』(飛鳥園 昭和34年)などがある。文化史的観点から仏像等を中心に日本美術史を論じ、晩年は環太平洋地域という新たな視野での調査・研究に従事したほか、博物館学的見地からの論考も多数ある。著作目録は『博物館学年報』27 号(1995年12月)に詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(308-309頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小川光晹」『日本美術年鑑』平成8年版(308-309頁)
例)「小川光晹 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10686.html(閲覧日 2024-04-26)
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