島田修二郎

没年月日:1994/04/11
分野:, (学)

東洋美術史家で、米国プリンストン大学名誉教授の島田修二郎は、4月11 日午後6時45分、呼吸不全のため、京都市西京区の関西医大洛西ニュータウン病院で死去した。享年87。明治40年3月29日、兵庫県神戸市に生まれた。父は治平衛、母は静尾。昭和2年3月、第三高等学校文科甲類を卒業後、京都帝国大学文学部哲学科に入学、美学美術史を専攻し、同6年3月に卒業後、12年3月まで、京都帝国大学大学院で東洋絵画史を専攻した。同13年3月から17年3月まで京都帝国大学文学部副手をつとめ、また16年5月から23年4月まで京都府社寺課の嘱託として寺院什宝の臨時調査に当たった。同23年7月から国立博物館研究員として美術研究所に勤務し、26年12月から思賜京都博物館監査員、27年4月、同博物館の国への移管にともなって文部技官となり、5月には学芸課美術室長となった。39年3月、職を辞し、7月からプリンストン大学客員教授として日本美術史を担当、40年7月には同大学教授となり、50年6月に定年退職、同大学名誉教授の称号を受けた。同7月、メトロポリタン美術館顧問となり、また51年9月から52年1月までハーヴァード大学客員教授として中国美術史を教えた。52年8月、メトロポリタン美術館顧問を辞し、9月に日本に帰国。55年から57年まで京都国立博物館評議員会評議員、平成4年まで名誉評議員をつとめた。この問、57年から61年まで文化財保護審議会第一専門調査会絵画彫刻部会専門委員。また、昭和50年から61年まで、メトロポリタン東洋美術研究センター会長、57年から平成3年まで国際交流美術史研究会会長、次いで名誉会長をつとめた。島田は、中国・日本の絵画史研究に大きな足跡をのこしたが、その基礎にあったのは作品と文献への肉迫であった。画を見尽くすとも言える観察眼は、密かに書かれた画家の隠し落款を発見し、画面に刻まれた制作者の営為の痕跡を見いだす(「高桐院所蔵の山水画について」「鳥毛立女屏風)。平成元年に第一回の国華特別賞(平成元年度)を受賞した『松斎梅譜』の研究は、第二次大戦中から実に四十五年の歳月をかけて丹念になされたものであった。ただ精緻な作品や文献の分析にはとどまらず、四十八巻に及ぶ「法然上人行状絵図」の極めて複雑な成立過程の解明に見られるように、断片的と見える諸要素は一つの流れに纏め上げられて行く。島田は、史料のすべてを記憶し、論のすべてを頭の中で構成してから執筆して訂正するところがなかったという。観たものと読んだものとを綴り合わせてゆく歴史的想像力、そこに島田の真骨頂がある。「逸品画配」や「罔両画」の研究には、それがいかんなく発揮されて、平板な実証主義を越えた絵画史の具体相が描き出されている。島田が提示したのは、漢たる絵画史の大枠ではなく、その根幹をなす事象群であった。詩画軸の研究に見られるように、それが中国・日本を含む広い視野をもってなされたことも特筆される。このような研究態度が、絵画史研究者に与えた影響は大きい。京都国立博物館在職中に担当した「雪舟展」(昭和32年)では、雪舟関係の作品と資料をほぼ網羅的に展示して後の研究の基礎を作った。プリンストン大学では、欧米の学生に対して『古今著聞集』『法華経』なと、の原典講読を含む本格的な指導を行い、十一年間に二十人近くの東洋美術史専門の研究者を輩出した。その指導に対する評価の高さは、退職後間もなくの1976年、島田を称えてプリンストン大学美術館で水墨画展が催されたことからも窺える。その折に、教え子たちの執筆した「JapaneseInk Paintings」は、現在でも英文で書かれた室町水墨画に関する基本文献である。このような、東洋美術史研究における世界的な貢献により、1990年度には第61回朝日賞を受賞した。著作のほとんどは、『島田修二郎著作集』上・下(中央公論美術出版社、1987・1993年)に収められている。なお同下巻の著作目録を参照されたい。
主な編著
「岡両画」(『美術研究』84 ・86、1938・39年)
「花光仲仁の序」(『宝雲』25 ・30、1939・43年)
「宋迫と漏湘八景」(『南画鑑賞』10- 4、1941年)
「詩画軸の書斎図について」(「日本諸学研究報告(芸術学)」21、1943年)
「逸品画風について」(『美術研究』161、1951年)
「高桐院所蔵の山水画について」(『美術研究』67、1952年)
「知恩院本法然上人行状絵図」(『日本絵巻物全集』13、角川書店、1961年)
『在外秘宝』障屏画琳派文人画、仏教絵画大和絵水墨画(学習研究社、1969年)
Traditions of Japanese Art(Fogg Art Museum,Harvard University、1970年)
「鳴毛立女屏風」(『正倉院の絵画』日本経済新聞社、1977年)
『在外日本の至宝』3水墨画、1979年
「鳥毛立女屏風の鳥毛貼成について」(『正倉院年報』4、1982年)
『禅林画賛』(毎日新聞社、1987年)
『松斎梅譜』(広島市中央図書館、1988年)

出 典:『日本美術年鑑』平成7年版(344-345頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「島田修二郎」『日本美術年鑑』平成7年版(344-345頁)
例)「島田修二郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10681.html(閲覧日 2024-04-26)

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