小堀四郎

没年月日:1998/08/09
分野:, (洋)

 洋画家の小堀四郎は8月9日午後6時45分、脳こうそくのため埼玉県新座市の病院で死去した。享年96。明治35(1902)年7月20日、尾張徳川家に仕えた名古屋市内の漢学者の家に生まれる。大正10(1921)年愛知一中を卒業後上京し、藤島武二に師事、川端画学校でデッサンを学ぶ。翌年東京美術学校西洋画科に進学、同期生には猪熊弦一郎牛島憲之荻須高徳小磯良平らがいた。2年生の時には特待生となり、昭和2(1927)年に卒業、全同期生と上杜会を結成し、9月にその第1回展を開催する。同年11月の第8回帝展には「静姿」が初入選する。翌年渡欧、フランスを中心にヨーロッパ各国で西洋絵画、とりわけレンブラントやコロー、ドーミエの模写で表現力を磨いた。同8年に帰国し、藤島武二の奨めで東京上野の松坂屋と名古屋の松坂屋で173点からなる滞欧作品展を開催。同10年、帝展改組の混乱を期に画壇を離れ、以後は上杜会にのみ出品。同20年から30年まで疎開先の長野県蓼科にこもり、農耕生活をしながら画業に専念する。画家を志した際、漢学者の父から「作品を売って生活してはならぬ」と戒められたことを終生守り、孤高の姿勢を貫いた。モティーフを初期の人物から風景画に移しながら古典的色合いを持つ堅実で精神性のこもった作品を描き、戦後は夜景をテーマに宗教性・神秘性を帯びた作風を展開。 同51年には東京大学のイラン・イラク発掘調査行に加わり、翌年その体験を基に「無限静寂」三部作(築地カトリック教会祭壇画)を制作。平成3(1991)年には高潔な画業と優れた人格を対象とする中村彝賞(第2回)を受賞。昭和61年に渋谷区立松濤美術館、平成3年に茅野市美術館、同4年には卒寿を記念して東京ステーションギャラリーで回顧展を開催。同7年には豊田市に油彩53点、ドローイング41点を寄贈した。なお妻は森鴎外の次女で随筆家として知られる小堀杏奴。

出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(423頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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