三橋兄弟治

没年月日:1996/06/17
分野:, (洋)

 水彩画家で、水彩連盟理事長の三橋兄弟治は、6月17日午前9時40分、結腸がんのため、神奈川県茅ヶ崎市の自宅で死去した。享年85。明治44(1911)年1月22日、神奈川県茅ヶ崎市に生まれ、大正15(1926)年小学校高等科を卒業し、同年神奈川県師範学校に入学した。在学中の昭和4(1929)年、第6回槐樹社展に「妹の像」が初入選し、また同会同人の金沢重治を知り、以後指導を受けるようになった。翌年、同学校を卒業して小学校教員になるが、画家志望の念が強まり、翌年には教員をやめて上京、独立美術研究所などで学んだ。その間、同10年の第4回旺玄社展に「サナトリウムの一角」等が、また翌年の第23回二科展に「浴衣のルーちゃん」がそれぞれ初入選した。以後、再び教員となりながら、制作をつづけ、同15年の第9回旺玄社展に出品した「港」により第一賞をうけ、翌年には同会同人に推挙され、また紀元二千六百年奉祝展に「芝生に憩う少女」が入選した。戦後になると、創元会、日展、水彩連盟展などに出品をつづけ、同28年には、水彩連盟展の会員となった。しかし同30年には創元会会員を退き、同時に日展への出品も以後とりやめた。また、同27年頃より、水を使わずに絵具を堅い筆で紙にこすりつける描法をとりいれ、静物画や肖像画において点描風の温雅な画面をうみだすことに成功した。しかし、次第に構成的な表現に変化し、同33年頃からは、いわゆる「熱い抽象」の影響をうけて、抽象表現を試みるようになった。茅ヶ崎市の中学校の教員を辞した同39年から翌年にかけて、はじめてヨーロッパ旅行をした。この旅行を契機に、ヨーロッパの景色、風物に惹かれるようになり、同43年からは、ふたたび具象的な表現にかえった。その後は、たびたびスペイン、南仏を中心に取材旅行におもむき、その収穫として静謐な古都市の風景画の多くを水彩連盟展や個展で発表しつづけた。同63年、水彩連盟展の初代理事長に選出され、その翌年には60年におよぶ画業を記念して新宿小田急本店グランドギャラリーで回顧展が開催され、また平成2(1990)年にも、茅ヶ崎市、横浜市において約100点からなる「三橋兄弟治の世界展」が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(349頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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