若松光一郎

没年月日:1995/11/07
分野:, (洋)

 新制作協会会員の洋画家若松光一郎は11月7日午前6時、急性心不全のため死去した。享年81。大正3(1914)年8月8日福島県いわぎ市常盤湯本三函179に生まれる。福島県立磐城中学に学び、東京美術学校入学を志して同7年に上京。川端画学校に入り、同校顧問であった藤島武二宅へ赴いて直接師事する。昭和8(1933)年東京美術学校西洋画科に入学。藤島武二に師事して同13年に同校を卒業する。在学中の同12年第2回新制作派協会展に「人物」で初入選。以後同展に出品を続け、同16年第6回同展に「石の村」「巌」「船」を出品して新作家賞を受賞。同18年同会協友となる。同19年召集により入隊。同年第9回新制作派展戦時美術展に「五月」「つりぼり」「緬羊の小屋」を出品して岡田賞を受賞。同27年から29年まで結核のため療養。病気が回復し始めたころから湯本の自宅で絵を教え始め、同会を「ユマニテ会」と名付けて、ユマニテ展を毎年間崖する。同31年第20回新制作展に「小田炭坑A」「小田炭坑B」「石炭をはこぶ女」を出品して同会会員となる。同48年7月から3週間ヨーロッパ旅行。同56年春にもヨーロッパへ赴く。初期には油彩によって人物、風景、静物を描き、対象の再現描写にとどまらず、形態を簡略化して構築的な制作を行った。1960年代に入ると、抽象表現へと移行し、油彩のみならず、和紙、日本画の顔料などを用い、時にコラージュをも含む独自の技法による作品が制作されるようになった。同60年いわぎ市立美術館で「若松光一郎―半世紀の歩み」展が開催されており、年譜、作風の展開については同展図録に詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(330頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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