松本富太郎

没年月日:1995/02/13
分野:, (洋)
読み:まつもととみたろう

 近代美術協会代表の洋画家松本富太郎は2月13日午後6時48分、急性心筋こうそくのため東京都新宿区の社会保険中央総合病院で死去した。享年89。明治38(1905)年2月24日大阪此花区西九条上通1丁目120番地に生まれる。大阪市立堂島商業高等学校を卒業。青木大乗に絵画を学び、昭和3(1928)年に上京して田辺至に師事。同4年第10回帝展に「湖畔の道」で初入選。翌年も「農村の或る日」で入選する。同10年同11年文展鑑査展に「台湾の村里」で入選する。昭和10年代に台湾、満州にそれぞれ半年づつ滞在。戦後も日展に参加。同28年第9回日展に「アトリエのポーズ」を出品して岡田賞、翌年第10回日展に「みみずくを配す」を無鑑査出品する。同31年第12回日展に「山」を出品して特選を受賞する。同30年に川島理一郎、和国三造らとともに新世紀美術協会の創立に関わって活動。同31年同回第1回展に「裸婦」を出品して黒田清輝賞、同36年第6回同展で川島理一郎賞を受賞。同36年日展を退会し、翌37年新世紀美術協会をも退く。同40年3月「純粋な制作活動を」提唱して近代美術協会を創立し、同年10月大阪市立美術館で同会の第1回展を開催する。このころ、作風は具象表現から抽象へと移行。同40年現代日本美術展に出品。同47年初めて渡欧し5年間滞在する。滞欧中の同48年ル・サロン展に出品して受賞、フランス国際展金賞、フランス共和党展金賞、同49年フランス国際展会員に推挙される。また同49年ベルギー・オスタンド国際展、同51年モナコ・モンテカルロ国際展など欧州各国の美術展に出品。同51年フランス・オーヴェルニュー国際展に出品してグランプリを受賞する。同年帰国。同63年画業60 年を記念して画集『松本富太郎』(松本富太郎画集出版刊行会)を刊行する。また、同年の近代美術協会の創立25周年記念展に代表作約30点を特別陳列する。初期には、写実にもとづいた具象画を描いたが、日展退会以後は抽象表現を好み、渡欧後は西洋との対比による東洋の認識から「陀達」「斎宮女御」「存在と無」などの作品を描いた。没後の平成7年第32回近代美術協会展で追悼展が行われた。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(310-311頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松本富太郎」『日本美術年鑑』平成8年版(310-311頁)
例)「松本富太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10623.html(閲覧日 2024-03-29)
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