米倉寿仁

没年月日:1994/03/18
分野:, (洋)

 美術文化協会の創立会員で、サロン・ド・ジュワンを主宰した洋画家米倉寿仁は、3月18日午前11時2分、呼吸不全のため埼玉県所沢市の所沢緑ケ丘病院で死去した。享年89。明治38(1905)年2月19日、山梨県甲府市錦町に生まれる。大正15年、名古屋高等商業学校を卒業後、郷里に帰り教職につくかたわら、絵を独学した。昭和6年、第18回二科展に「ジャン・コクトオの『夜曲』による」が初入選。また、福沢一郎と知己になり、同10年、第5回独立展に「窓」が初入選。翌年、画業に専念するために教職を辞して、上京。この頃より、いち早くシュルレアリスム的な表現をとりいれ、社会意識の強い作品を描くようになる。「ヨーロッパの危機」(原題「世界の危機」、同11年、山梨県立美術館蔵)「モニュメント」(同12年、第7回独立展出品、同美術館蔵)、「破局(寂滅の日)」(同14年、第9回独立展出品、東京国立近代美術館蔵)など、暗転する時代を表現した代表作が描かれている。同13年、創紀美術協会の創立に参加、さらに翌年、美術文化協会の創立会員となる。戦後は、同26年に、美術文化協会を退会して、翌年美術団体サロン・ド・ジュワンを結成、以後同会によりながら、作品を発表した。

出 典:『日本美術年鑑』平成7年版(342-343頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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