杉全直

没年月日:1994/01/23
分野:, (洋)
読み:すぎまたただし

 元東京芸術大学教授の洋画家杉全直は1月23日午前4時55分、脳こうそくのため東京都文京区の日本医科大学病院で死去した。享年79。大正3(1914)年3月26日、東京都品川区東大井4丁目に父寅二、母ちくの次男として生まれる。父方の家系は代々九州秋月藩の御藩医であった。同10年大井尋常小学校に入学するが、同13年父の死去により姫路にある母方の実家に移住する。昭和元(1925)年姫路市城東小学校を卒業、同2年同校高等科を修了して旧制姫路中学校に入学。在学中、同校の美術教師で帝展出品者であった飯田勇に絵を学ぶ。同7年同校を卒業して上京し、小林万吾の主宰する同舟舎に通う。同8年家族とともに浦和に移住。同年東京美術学校油画科に入学する。同校では小林万吾に師事。同11年第23回二科展に「蓮池」で初入選。同13年東京美術学校を卒業。同年の第8回独立美術協会展に「蝕まれた街」「時の悪戯」で初入選。同14年兵役につくが、同年の第9回独立展に「鏡(映像)」「頒歌」を出品し、独立美術協会賞を受賞する。同年より同22年まで美術文化協会展に出品。同23年モダン・アート協会が設立されると同展にも第1回展より出品する。同28年美術文化協会を退会。現代日本美術展、日本国際美術展にも出品し、同33年第3回現代日本美術展に「窪んだ空間A・B」を出品して優秀賞受賞。同34年第5回日本国際美術展に「湧く」を出品して神奈川県立近代美術館賞を受賞。初期にはシュール・レアリスムに学び、人体を中心として画面を構築していたが、戦後、抽象絵画の試みを経て、同35年ころ、自らの歩みを六角形「きっこう」をめぐる試みであったとする認識から「きっこう」のシリーズを制作し始める。同36年第6回日本国際美術展に「きっこう」を出品しブリヂストン美術館賞を受賞。同年第6回サンパウロ・ビエンナーレにも「眼」「作品」など12点を出品する。同37年第31回ヴェネチア・ビエンナーレ(コミッショナー・今泉篤男)に「きっこう」「きっこう2」など10点を出品。同38年第7回日本国際美術展に「無音」を出品して優秀賞を受賞する。同40年9月渡欧し翌年7月帰国。同43年多摩美術大学油画科教授となるが、同48年教授を辞任。同52年母校の東京芸術大学油画科教授となる。同55年同校退官にあたり東京芸術大学陳列館・大学会館展示室において6月30日より7月12日まで「東京芸術大学退官記念展-1938~75杉全直展」を開催する。同展などにより一貫した抽象表現の追求を示したことにより、同56年にはいって、同55年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。同56年東京芸術大学を定年退官する。同62年回顧的な内容を持った「杉全直展」を姫路市立美術館、東京のO美術館で開催した。年譜、参考文献等は同展図録に詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』平成7年版(337頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「杉全直」『日本美術年鑑』平成7年版(337頁)
例)「杉全直 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10595.html(閲覧日 2024-03-29)

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