浦田正夫

没年月日:1997/11/30
分野:, (日)
読み:うらたまさお

 日本芸術院会員で元日展事務局長の日本画家浦田正夫は11月30日午前9時15分、肝臓ガンのため東京都新宿区の病院で死去した。享年87。明治43(1910)年5月1日熊本県山鹿市に生まれる。大正4(1915)年東京市小石川区音羽に転居。昭和3(1928)年松岡映丘に入門、また本郷絵画研究所にも通う。翌年東京美術学校日本画科に入学し、同9年に卒業。この間、津田青楓洋画研究所の夜学に通い一年あまり洋画を学ぶ。同8年第14回帝展に「展望風景」が初入選。同9年映丘門下の山本丘人杉山寧らと瑠爽画社を、15年には高山辰雄、野島青茲らと一采社を結成、その中心的役割を果たす。同13年には現地嘱託として満蒙地区に赴き、四ヶ月の間巡遊、また同17年には大同雲崗石仏研究のため一か月間滞在する。戦後は同26年より山口蓬春に師事し、同28年第9回日展で「関口台」が白寿賞、同30年第11回日展出品作「湖映」、同32年第13回日展出品作「磯」がともに特選・白寿賞を受賞。さらに同35年第3回新日展で「池」が菊華賞、同45年第2回改組日展で「双樹」が桂花賞、同48年同第5回展で「蔓」が文部大臣賞を受け、同53年には前年の第9回改組日展出品作「松」により日本芸術院賞を受賞。自然景をモチーフに穏やかで温かな、その中に質朴な自然感を滲ませる作調を展開した。昭和47年より日展評議員、同54年より同展理事をつとめ、同63年日本芸術院会員、平成元年には日展事務局長となった。

出 典:『日本美術年鑑』平成10年版(405頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「浦田正夫」『日本美術年鑑』平成10年版(405頁)
例)「浦田正夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10590.html(閲覧日 2024-04-25)

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