平島二郎

没年月日:1998/10/20
分野:, (建)
読み:ひらしまじろう

 建築家の平島二郎は10月20日午後11時15分、胸部大動脈瘤破裂のため東京都千代田区の病院で死去した。享年69。昭和4(1929)年6月22日、東京都港区高輪南町に生まれる。同17年森村学園初等科を卒業し、同年麻布中学校に移ったが、同19年に成城学園に転じる。同25年東京芸術大学美術学部建築科に入学。一方で在学中に俳優座養成所舞台技術講習生となり舞台美術コースを同29年卒業、俳優座劇場舞台美術製作所に在籍する。同29年東京芸術大学を卒業するが、卒業設計には当時まだ知る人の少なかったシェル構造を選ぶ。シェル構造からスペインのトローハの作品に注目、さらにヨーロッパとアラブ世界の交流史に興味を持ち、また日本と世界の住宅の歴史を精査、自身の建築設計に独自の風土論を実現することとなる。同29年山脇巌の自邸内の研究室に入室し、バウハウスに留学した山脇夫妻のもと、グロピウス展の展示計画にも加わった。同30年、朝吹四朗建築事務所に就職。同36年スペイン政府名誉留学生に合格、スペイン国立マドリード大学トローハ研究室と、サン・フェルナンド美術学校に一カ年在籍。その間のヨーロッパ各地、また船旅の往路途次ではアジア各地を、帰国時に南米各地、北米合衆国を、建築、とくに住宅について視察した。同38年建築事務所開設。同年母校の講師として同43年まで在職、東京芸術大学図書館ほかの設計に加わった。同41年文部省委託のカッパドキア中世遺跡調査に従事。主な作品にはクレッセント・ハウス(同43年)、奥志賀高原ホテル(同44年)、那須御用邸基本設計(同49年)、葉山御用邸(同53年)、赤坂御用地内東宮仮御所(同57年)。平成10年の遠藤周作文学館の基本設計が遺作となった。著書に『世界建築史の旅』(美術出版社 昭和42年)。

出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(425頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「平島二郎」『日本美術年鑑』平成11年版(425頁)
例)「平島二郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10544.html(閲覧日 2024-04-25)

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