月山貞一

没年月日:1995/04/01
分野:, (刀)
読み:がっさんていいち

 国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)の刀工月山貞一は4月1日午前7時50分、心不全のため奈良県桜井市の済生会中和病院で死去した。享年87。明治40(1907)年11月8目、大阪市東区鎗屋町に刀鍛冶月山貞勝の第三子として生まれる。本名昇(のぼる)。月山家は鎌倉時代に発祥した出羽月山鍛冶を祖とし、享和元年に生まれ家業を継いで月山鍛冶となった月山貞吉(本名奥山弥八郎)が天保4年ころに大阪に移住したことに始まる大阪月山家の正系に当たる。大正7(1918)年、初代貞一の死去のころから父貞勝より刀工を学び、同12年16歳で大阪美術協会展に貞光の銘で初入選。昭和2年から3年にわたり、内務省神宮司庁の依頼により父とともに皇大神宮式年御料神宝太刀58振、鉾43柄の制作にあたる。同4年父とともに昭和天皇の佩刀、大元帥刀を制作。同10年大阪から奈良吉野山に鍛刀場を移し、同18年奈良樫原の月山日本刀鍛錬場に移る。同年12月父の死去に伴い、大阪陸軍造兵廠軍刀鍛錬所の責任者となる。同20年8月敗戦後、マッカーサー指令により刀剣製造が禁止され、伝統技術衰退の危機をむかえるが、その中にあって同23年財団法人日本美術刀剣保存協会が設立され、同29年武器製造法令により文化財保護委員会から作刀許可を受けて日本刀制作の伝統保存が計られるようになるまで、刀鍛冶の火を守り続けた。同31年刀銘貞光を貞照とし、同41年祖父の銘を受けて二代貞一を襲名。この間の同40年奈良県桜井市茅原に月山日本刀鍛錬道場を開設する。同42年第3回新作名刀展に名槍「日本号」を写した作品を出品して文化庁長官賞ならびに正宗賞を受賞。同44年第5回同展に「相州伝切物埋忠明寿」により3年連続最高賞、正宗賞・文化庁長官賞を受賞し、同45年より同展に無鑑査出品、審査委員にも推された。同45年奈良県無形文化財保持者として認定され、翌46年国指定重要無形文化財「日本刀」保持者の認定を受けた。同年この認定を記念して神戸三越で「人間国宝月山貞一展」を開催。同48年自伝『日本刀に生きる』を刀剣春秋社より刊行。同年東京上野松坂屋で「人間国宝月山貞一展」、同54年北海道旭川市マルカツで「人間国宝月山貞一展」、同56年山形市松坂屋で「人間国宝月山貞一展」が開催された。大和系の柾目鍛え、相州系の大板目鍛え、山城系の小木目鍛えなど大和、相州、山城、備前、美濃の五地方に伝わる独自の鉄の鍛え方である五ケ伝の鍛法、近世に登場した大阪新刀鍛冶の作風をすべて身につけた上、月山家家伝の独自の地肌模様「綾杉伝」と刀工彫刻を伝承し、現代刀工界の最高峰として活躍し、後進の育成にも努めた。全日本刀匠会理事長、美術刀剣匠会長などを歴任。同63年米国ボストン美術館で「月山歴代と伝統」展を開催するなど、伝統技術の海外紹介にも積極的に当たった。古刀の模造のほか、「伊勢神宮式年御料太刀」など社寺の奉納刀に多くの名作を生んだ。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(316頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「月山貞一」『日本美術年鑑』平成8年版(316頁)
例)「月山貞一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10538.html(閲覧日 2024-04-19)

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