金重素山

没年月日:1995/12/27
分野:, (工,陶)
読み:かねしげそざん

 備前焼作家の金重素山は12月27日午後5時50分肺炎のため岡山県赤磐郡山陽町の病院で死去した。享年86。明治42(1909)年3月31日、岡山県備前市伊部1531に備前焼窯元金重楳陽(慎三郎)を父として生まれる。本名七郎左衛門。父が幼時に死去したため、兄の金重陶陽に陶芸を学び、昭和2(1927)年より陶陽の助手として専ら窯焚をつとめる。大本教を信仰し、同26年陶陽窯を離れるにあたって大本教主出口直日の招請により京都府亀岡市の大本教本部の大本窯、花明山窯を制作の場と定めた。同34年大本教本部京都府綾部の鶴山窯に築窯して独立。同39年岡山市円山に登窯を築窯した。桃山時代の伊部焼「緋襷」に魅せられその再現に力を注ぎ、独自の窯を考案して焼成を試み、同40年電気窯による「緋襷」制作を創案して翌年それを完成させた。同42年東京日本橋壺中居にて「緋襷」のみの個展を開催した。同45、47年東京日本橋三越で個展を開催。同49年山陽新聞文化賞受賞。同53年天満屋岡山店にて「金重素山展」を開催する。同57年伊部に牛神下窯を築く。同58年岡山県指定重要無形文化財保持者の認定を受けた。同59年東京、大阪、名古屋にて「備前 金重素山展」を開催するとともに岡山高島屋で「金重素山展」を開催。平成2(1990)年松阪屋本店、三越本店にて「傘寿金重素山展」を開催。同年伝統文化保存振興への貢献に対して文化庁長官表彰を受ける。同3年天満屋岡山店にて茶陶展を開催し、同年岡山県文化賞受賞。同6年三木記念賞を同7年備前市功労賞を受賞した。昭和50年、54年に日本陶芸展に推薦出品したほか、兄陶陽一門の展覧会に協賛出品しているが、特定の団体に所属せず、茶陶を中心に独自の作陶を続けた。桃山風のおおらかなフォルムと緋襷の焼成により、風格ある作風を示す一方、伝統的備前焼きの進展に寄与した。

出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(334頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「金重素山」『日本美術年鑑』平成8年版(334頁)
例)「金重素山 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10533.html(閲覧日 2024-03-29)
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