土居次義

没年月日:1991/11/24
分野:, (学)

京都工芸繊維大学名誉教授、美術史家土居次義は、急性呼吸不全のため京都市山科区の東山老年サナトリウムで死去した。享年85。明治39(1906)年4月6日大阪市天王寺区に生まれる。京都の第三高等学校に学んで昭和6年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。同大学文学部副手を経て昭和10年10月より恩賜京都博物館鑑査員を勤め、同21年4月に恩賜京都博物館長に就き、同22年12月同館を退官。この間、昭和15年恩賜元離宮二条城事務所兼務、同20年3月より1年間京都市文教局文化課長に転出して京都市の文化財の疎開にかかわる仕事を行なった。その後、昭和24年4月より京都工芸繊維大学教授。同45年同大学を定年退職した。また、徳島県文化財専門委員(昭和33年9月)、京都府文化財保護審議会委員(同40年10月)、文化財保護審議会専門委員(同44年3月)、京都国立博物館評議員会評議員(同56年1月)を歴任した。
 昭和28年12月文学博士(日本美術史)。昭和44年に京都新聞文化賞、同49年11月に紫綬褒賞、同55年4月に勲三等旭日中綬章、同60年12月に京都府文化賞特別功労賞が授けられ、同62年11月に京都市文化功労者表彰を受けた。京都帝国大学では美学美術史を専攻して沢村専太郎教授(1884~1930)に師事し、在学中より京都の寺院に所蔵される障壁画の調査にたずさわる機会をえて日本近世絵画史の研究を行なった。ジョバンニ・モレリの鑑識方法を応用して絵画細部にあらわれた特徴を比較する研究方法を採り、従来巨名作家の伝承をもつのみだった無款の障壁画の作者推定に説得力ある議論を展開した。土居は一連の研究によって山楽、山雪、松栄、光信、孝信らの狩野派など主要画家の作風を明らかにするとともに、基準作品と史料の発掘に努めて桃山時代の絵画史研究の基礎確立に大きく貢献した。長谷川等伯の子久蔵と同一視されていた信春を等伯と同一人とする新説を昭和13年に発表するなど、長谷川等伯と長谷川派の研究に尽力して桃山画壇における同派の意義を明らかにした点が特筆される。また、江戸時代の画家研究においても得意とするフィールドワークを生かした多くの研究を発表した。
主要著書
『等伯』(東洋美術文庫・第7巻)アトリヱ社、昭和14年
『京都の障壁画』(京都市観光課編)桑名文星堂、昭和16年
『桃山障壁画の鑑賞』寶雲社、昭和18年
『山楽と山雪』桑名文星堂、昭和18年
『日本近世絵画攷』桑名文星堂、昭和19年
『山楽派画集』桑名文星堂、昭和19年
『近世絵画聚考』芸艸堂、昭和23年
『襖絵』(アート・ブックス)講談社、昭和31年
『等伯』(日本の名画・第1期)平凡社、昭和31年
『長谷川等伯・信春同人説』文華堂書店、昭和39年
『桃山の障壁画』(日本の美術・第14巻)平凡社、昭和39年
『障壁画』(日本歴史新書)至文堂、昭和41年
『若沖二井絵』マリア書房、昭和42年
『近世日本絵画の研究』美術出版社、昭和45年
『永徳と山楽』(人と歴史・日本18)清水書院、昭和47年
『渡辺始興 障壁画』光村推古書院、昭和47年
『長谷川等伯』(日本美術・第87号)至文堂、昭和48年
『元信・永徳』(水墨美術大系・第8巻)講談社、昭和49年
『讃岐金刀比離宮の障壁画』マリア書房、昭和49年
『三竹園美術漫録』講談社、昭和50年
『狩野山楽/山雪』(日本美術絵画全集・第12巻)集英社、昭和51年
『長谷川等伯』講談社、昭和52年
『狩野永徳/光信』(日本美術絵画全集・第9巻)集英社、昭和53年
『山楽と山雪』(日本の美術・第172号)至文堂、昭和55年
『花鳥山水の美-桃山江戸美術の系譜-』京都新聞社、平成4年
この他、発表論文の目録が『近世日本絵画の研究』(昭和45年)に、略歴が『花鳥山水の美』(平成4年)に掲載される。等伯を中心とした長谷川派の研究は『長谷川等伯』(昭和52年)に集大成された。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(306-307頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「土居次義」『日本美術年鑑』平成4年版(306-307頁)
例)「土居次義 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10487.html(閲覧日 2024-04-19)

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