倉田三郎

没年月日:1992/11/30
分野:, , , (洋,学)

 東京学芸大学名誉教授の美術教育者、洋画家の倉田三郎は、11月30日心不全のため東京都武蔵野市の武蔵野赤十字病院で死去した。享年90。INSEA(国際美術教育学会)第4代会長をつとめるなど美術教育に功績のあった倉田は、明治35(1902)年8月21日東京市牛込区に生まれた。東京府師範学校(青山師範学校)本科を経て、東京美術学校師範科へ進み、大正15年卒業した。在学中から中央美術展、二科展等に出品、同13年からは春陽会展に出品を続け、また、同年麓人社同人画会を結成した(昭和9年解散)。卒業の年、愛媛県師範学校教諭となり赴任、二年後に東京府立第二中学校へ転じた。昭和11年、第11回オリンピック・ベルリン展へ出品、同年春陽会会長に挙げられる。戦後は同24年東京学芸大学教授に就任、以後、美術教育における中心的存在として活躍し、同33年のバーゼル第10回国際美術教育会議日本代表をつとめたのをはじめ、美術教育に関わる国際会議及び研究のため約40カ国を歴訪した。一方、文部省の教材等調査研究中高委員、教育教員養成審議会委員、大学設置審議会専門委員などの政府委員も歴任した。同41年、東京学芸大学を定年退官し同大学名誉教授の称号を綬与され、また、同年のプラハ国際美術教育会議において、INSEA会長に選出された。この間、制作発表は春陽会展の他、九夏会(昭和9年結成)、個展等において行なった。同57年、多摩信画廊で「倉田三郎画業60年傘寿記念展」が、同62年には青梅市立美術館で「倉田三郎代表作展」が、平成3年にはたましん歴史・美術館開館記念「倉田三郎展」がそれぞれ開催された。著書に『バルカン素描』(昭和31年)、『造形教育大辞典』(編著、同32年)、『木村荘八・人と芸術』(同54年)などがあり、美術教育に関する論文も多数ある。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(329頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「倉田三郎」が含まれます。
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