高田力蔵

没年月日:1992/10/31
分野:, (洋)

 春陽会会員で西洋の名画の模写でも知られた洋画家高田力蔵は、10月31日午後10時25分、腹膜炎による心不全のため東京都板橋区の帝京大病院で死去した。享年92。明治33(1900)年10月18日、福岡県久留米市に生まれる。川端画学校に学び石井柏亭に師事。この頃フランスの画家アルベール・マルケに私淑する。昭和2(1927)年第14回二科展に「岬端風景」で初入選。以後同11年まで連年入選。同11年ベルリン・オリンピック芸術競技に出品し銅賞を受けた。同12年渡仏し、パリのアカデミー・グランショーミエールに学ぶ。また、ルーヴル美術館で古画を模写し、同13年パリ日本美術家展にアングルの「泉」、ブリューゲルの「乞食の群れ」の模写を出品して日本大使館より奨励賞を受ける。同14年第二次世界大戦勃発のため米国を経由して帰国。同15年春陽会会員となる。同17年、日本の祭礼を主題とするシリーズ制作にとりくみ、同17年「相馬の野馬追い」、同18年「鹿島神宮御船祭」、同19年「福岡県大善寺鬼夜祭」を描いて春陽会に出品する。同20年4月、戦火で東京のアトリエを焼失して郷里久留米に疎開。大分県の九重山飯田高原、久住高原の自然に魅せられて連作を制作。同33年東京三越本店で個展を開き九重山群の諸作を展観する。同37、39年にも同店で個展を開き、皇居周辺の風景画を展示。同40年2度目の渡仏をし、ルーヴルで古画を模写するとともに同42年ジャック・マレシャルに油絵修復技術を学んだ。同年モスクワ、レニングラード、キエフ等を経て帰国。同46年仙台市の依嘱でイタリアへ渡り、ローマ・ボルゲーゼ宮殿にある「支倉常長」像を模写した。その後も、同47、52、54、56、57年に渡仏して古画の模写を行なった。平成2(1990)年、昭和13年から描き続けてきた模写作品の所蔵品のうち20点を東京都北区に寄贈。これを機に、「北区北とぴあオープニング記念 第1回西洋名画模写作品展」が開催され、翌3年に北区北とぴあで「第2回西洋名画模写作品展」、同4年に北区滝野川会館オープニング記念として「第3回西洋名画模写作品展」が開かれた。手がけた模写作品には、石橋正二郎の依頼によるジャン・フランソワ・ミレーの「落穂拾い」、ターナーの「雨・蒸気・速力」、アングルの「トルコ風呂」、北区に寄贈したレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、ジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」等がある。昭和51年より日本美術家連盟委員、同61年より平成元年まで同連盟監事をつとめた。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(326頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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