高田誠

没年月日:1992/10/24
分野:, (洋)

 文化功労者で日展理事長、一水会運営委員等をつとめた洋画家高田誠は、10月24日午後2時37分、肝不全のため浦和市の市立病院で死去した。享年79。大正2(1913)年9月24日、埼玉県北足立郡に生まれる。同15年埼玉県立男子師範付属尋常高等小学校を卒業して、埼玉県立浦和中学校に入学。在学中、跡見泰、相馬其一の指導を受け、昭和4(1929)年、第16回二科展に「浦和風景」で初入選し早熟な画才を示した。翌5年安井曽太郎を訪ね、以後安井に師事。同6年浦和中学校を卒業。同年、安井の紹介で二科技塾に入り、熊谷守一安井曽太郎石井柏亭山下新太郎有島生馬らの指導のもとに学んだ。二科展には同11年第23回展まで出品したが、同年12月に安井らによって一水会が創立されると同会に参加。翌12年第一回展から一水会を中心に活躍した。同13年第2回一水会展に「山村秋日」「中綱湖」「湖畔秋色」「磐悌山」を出品して一水会賞受賞。同16年一水会が新文展にも参加することとなり、同年の第4回新文展に「秋の静物」で初入選。同17年第5回新文展には「松原湖辺」を出品して特選となった。戦後は日展、一水会展を中心に制作を発表。同21年第8回一水会展に「信濃路」「静物」を出品して同会会員となり、また、同年の第2回日展に「山の貯水池」を出品して特選を受賞した。日本国際美術展、現代日本美術展にも第1回展から出品。同33年社団法人日展の発足に伴い日展会員となり、同37年日展評議員となる。また同35年一水会運営委員、同36年埼玉県美術家協会会長となった。同43年第11回社団法人日展に「雑木林のある雪景」を出品して文部大臣賞受賞。同44年春、一ケ月あまり欧州を巡遊。同47年、前年の第3回改組日展出品作「残雪暮色」によって日本芸術院賞を受賞。同53年文化庁創設10周年記念功労者として表彰され、また日本芸術院会員に任命される。同58年より3年間日展理事長をつとめ、同62年文化功労者に選ばれた。風景画、静物画を多く描き、昭和10年代に中間色による点描でリズミカルな画面を構成する作風に移行した。戦後は写生にもとづきながらも、対象の形、色彩に意図的な改変を加えて明朗なリズムと調和を画面にもたらす傾向が強まった。昭和30年より42年まで埼玉大学教育学部美術科講師、同55年から同62年までは玉川大学客員教授をつとめ、美術教育にも尽くしたほか、同51年より安井曽太郎記念会の理事・評議員となって安井賞の運営に尽力した。同54年『高田誠画集』(大日本絵画巧芸美術刊)が刊行され、同60年「高田誠展」(朝日新聞社主催)が開かれており、画歴はそれらに詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(326頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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